とが きくよ
栂紀久代
笑顔の連鎖 講演会
本名栂 紀久代
生年月日1952年6月18日(63歳)
出生地 日本 大阪府
民族日本人
血液型A型
職業社会起業家 教育者
公式サイト ⇒栂 紀久代・公式サイト
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栂 紀久代(とが きくよ、1952年 - )はユニバーサルデザインプロデューサー、福祉コンサルタント、特定非営利活動法人サン・クラブ理事長。[1] 大阪産業大学大学院(アントレプレーナー専攻)客員講師。
大阪産業大学大学院(アントレプレーナー専攻)客員講師2012年3月で退職。
宅地建物取引士・国際シンボルマーク使用許可取得・LLPユニバーサルデザイン企画組合員。
2006年からあおぞら財団にて活動。[2] あおぞら財団主催2012年10月15日西淀川区第1回災害時要援護者支援セミナーにて講演。 2011年から学びフォーラムで幹事を務めユニバーサルデザイン教育も行う。
目次
1 来歴
2 活動
3 ユニバーサルデザインの考え方とは
4 人物
5 著書
6 出演番組
7 イベント
8 外部リンク
9 出典
1952年(昭和27年)大阪府生まれ。1978年(昭和53年)11月に結婚し、専業主婦となる。 1980年(昭和55年)5月3日に、鳥取県東伯郡羽合町(現在の湯梨浜町)の国道9号において、赤信号で停車中に九死に一生の事故に遭い、それ以来、23年間診断書もない中途半端な健常者の時代を過ごし、23年目にして初めて手にした診断書名は脳脊髄液減少症。 1種1級の車椅子生活者となる。 2006年(平成18年)5月13日、簡易設置スロープでスロープの設置方法が間違っていたため車いすごと転倒して脳震盪を起こし、髄液漏れを起こす。 障害は重度になるが同じ患者の為に特定非営利活動法人サン・クラブを設立する。 事故前はクラッチを使うまでになっていたが、事故後は箸も満足に使えないほど両手の握力がなくなった。 また、振動が体に伝わるため既製品の車いすでは外出不可能となり、現在は外出時には特殊な車いす(オメガ3)を使用している。[3] [4] [5] [6] 事故に遭うまでは健常者として、事故後は原因不明の症状に悩まされ中途半端な健常者として、診断が付いてからは障害者として、それぞれの立場を知る者として自分の果たす役割を考え始め、51歳の時に車いすを使う身でありながら2004年「プチハウスなな」を起業し、「障害者や高齢者にとって必要なものは、健常者にとっても便利なもの」これをコンセプトに身近な小物から住環境空間に至るまでユニバーサルデザインを提唱。 ホテルや公共交通機関のユニバーサルデザインを推奨、ユニバーサルデザインを広める活動を進めている。[7] 原則とADA(障害をもつアメリカ人法) ユニバーサルデザインが生まれた背景には、キング牧師に代表される公民権運動が、障害をもつ人の権利運動に影響を与え、彼らの運動が法整備を促進させてきた経緯がある。 中でも1990年に施行されたADA(アメリカン・ディザビリティーズ・アクト)は、障害のある人が利用しにくい施設を「差別的」と位置づけ、雇用の機会均等と、製品やサービスへのアクセス権を保障したエポックメーキングな法律である。 ADAは広範囲にわたり、障害のある人の権利保護を定めている。 人がたくさん集まる所ならどこでも、小売店であれ、美容院であれ、バリアがあってはいけないとしている。 しかし、すべての製品やサービスを対象にしているわけではなく、法律の基準を満たしているからといって、日常生活のさまざまな場面で不便を感じるのは否めない。 ロナルド・メイスは、法律の限界を踏まえて、障害のある人を特別視せずに、あらゆる人が快適に暮らすことができるデザインとして、ユニバーサルデザインを提唱した。 原則1:誰にでも公平に利用できること 原則2:使う上で自由度が高いこと 原則3:使い方が簡単ですぐわかること 原則4:必要な情報がすぐに理解できること 原則5:うっかりミスや危険につながらないデザインであること 原則6:無理な姿勢をとることなく,少ない力でも楽に使用できること 原則7:アクセスしやすいスペースと大きさを確保すること[8] 原則1:安全 誰もがみんな安全な生活が出来る事 原則2:安心 誰もがみんな安心して暮らしができる事 原則3:快適 誰もがみんな快適に外出できる事 原則4:簡単 誰もがみんな簡単に使える制度である事 原則5:便利 誰もがみんな便利に使える制度である事 原則6:真心 制度運用者は真心を持っている事 原則7:配慮 制度運用者は弱者にも十分な配慮が出来ること[10] ユニバーサルデザインの基本は衣食住・危機管理・教育であると考え、衣食住に関しては、和服の素材を洋服にすること、手作りにこだわった食、「和」の技術を活かした住環境を主張している。 危機管理については、災害直後から避難所までの防災や搬送の重要性を説く。[11] 教育に関してはIQに代わって、これからはEQを育てる時代に入ったと主張。 また、LLL(Life Long Learing)研究会において、社会教育を推奨している。[12] この他、「産学官民」のあり方を見える化したネットワークの重要性や、医学に対する患者学を作り上げ医師と患者の対等な立場実現のために「医学」に対する「患者学」を提唱。 2006年、啓発活動の一環として、大阪府大東市の「ひとにやさしいまちづくり」のイベントに於いて、大学のテーマは「移動困難者の避難誘導」を3年連続地域密着型で実施。 2010年11月に、国道2号歌島橋地下歩道に於いて「移動困難者の避難誘導の検証」を国土交通省、JR西日本、大阪市危機管理室、西淀川消防署、西淀川警察署、西淀川区役所等関係部局が参加して、地下から地上まで担架搬送の検証を実施。[13] 防災のユニバーサルデザインでは、発災直後から3日間のことを調査研究。特に都心部の防災を考え、移動困難者の地下から地上までの搬送方法や、ビルでの縦移動、避難所の在り方を調査研究。 [14] [15] [16] 事故以前は毎週花シリーズでハイキングやトレッキングに行き、冬はスキーに夏は登山と健康的な生活を送っていた。 15歳頃から「和」に魅了され、日本古来の匠の技や武士道の精神を愛し、自分自身を磨く事に専念する。 書道、茶道、華道、箏曲、和裁を習得し、和裁検定を目指す。 書道は6段。 また、一時は女性写真家を目指していたが、現在は趣味にしている。
来歴
活動
ユニバーサルデザインの考え方とは
人物
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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