かきはら てつや
柿原 徹也
プロフィール
愛称カッキー [1]、てとぅーや[2]
性別男性
出身地 西ドイツ
デュッセルドルフ[3][4]
生年月日 (1982-12-24) 1982年12月24日(41歳)
血液型AB型(RH-)[5]
身長169 cm[4][6]
職業声優、歌手
事務所Zynchro[7][8]
公式サイト ⇒公式プロフィール
声優活動
活動期間2002年 -
ジャンルアニメ、ゲーム、吹き替え
デビュー作エコー2(『戦闘妖精雪風』)
音楽活動
活動期間2010年 -
ジャンルJ-POP
職種歌手
レーベルKiramune
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柿原 徹也(かきはら てつや、1982年12月24日[4][9] - )は、日本の男性声優、歌手。ドイツ出身。Zynchro取締役兼所属[7][8]。 ドイツのデュッセルドルフにて日本人の両親の下、2人兄妹の長男として生まれる[10][出典無効]。幼稚園の何年かと、小学1年生頃に日本にいたが、それ以外は18歳までドイツに住んでいた[11]。小学3、4年生くらいに聞いていた神谷明、ゲストとして出演していた三石琴乃がトークをしていた子供向け学習雑誌の付録のカセットテープに感銘を受けて職業としての声優を知った[11]。しかし当時は声優を目指す気持ちはなかった[11]。 当初は子供が好きで、幼稚園教諭になろうとしていた[12]。ドイツに住んでいる際、高校の社会実習[5]で幼稚園の先生を1年間していたが子供たちが言う事を聞いてくれずアニメキャラクターの声真似をしたところ言う事を聞いてくれるようになり、「日本が世界に誇れるアニメ文化に関わる仕事がしたい!」「声優という道もあるんだな」と一念発揮して声優を志し来日[13][14]。その頃、家族にも18歳で来日するとは言っておらず、「日本にしかない職業を探さなきゃ!」と思い、ドイツにはマイスター制度があるため、手元にあった日本にまつわるものを色々探っていたという[11]。その時、親戚が持ってきたPlayStation版『ときめきメモリアル ?forever with you?』に登場するキャラクターの芝居が面白く、その頃、アニメを観ていたところ、同じ声優が違う役で出演しており、「なにこれ!?」と驚き、「声優って面白い!」と実感した[11]。埼玉県朝霞高校の定時制を卒業後、学習院大学へ進学する。学生生活と両立させながらアミューズメントメディア総合学院声優タレント学科に通い、2002年頃より声優としての活動を開始した。学生時代はアミューズメントメディア総合学院の昼過ぎの授業が終わり、午後は牛丼屋のアルバイト、夜は日本語を勉強するために高校の定時制に通っていた[15]。 初仕事は2001年12月に学生時代に新人発掘のオーディションを受けてスタッフが柿原のキャラクターを気に入ってもらって出演した文化放送のラジオ番組だった[16]。19歳の時に[17]ドラマCD『プリンセスVer.1』でデビュー[12]。 前述の通り、幼稚園で社会実習をしており、子供たちが『ポケットモンスター』、『サザエさん』、『ドラえもん』といったアニメの話をしており、その時、「子供たちがこんなにアニメが好きなら、僕もいつかこの子たちにアニメを観せてあげられる立場になれたらいいな」と思っており、これも声優になりたい理由のひとつだったという[12]。 『ネポス・ナポス』、『ふしぎ星の☆ふたご姫』で念願の子供向けアニメに出演し、始まってみると、それまでしていた芝居と、子供向けの芝居は全然違っており、誰がその作品を観ているのかにより、発信の仕方も変わり、芝居をさらに考えるいいきっかけになったという[18]。 その後も、幅広いジャンルの作品に出演し、その時々で、「いい作品にたくさん巡りあえてるなぁ」と感じており、『天元突破グレンラガン』も、柿原を変えてくれた大きな作品だという[18]。前述の通り、『ネポス・ナポス』と『ふしぎ星の☆ふたご姫』で子供向けアニメを経験したが、今度は子供も大人も観られる作品で初主役を演じさせてもらい、周囲からは、「こんなすごい作品に主演したら、そこで燃え尽きちゃうんじゃない?」と心配されたという[18]。 2010年11月24日、Kiramuneレーベルから、歌手デビュー。KiramuneレーベルからCDデビューを誘われた時は、役者として業界に入ったため声優以外にも舞台や映像といった体を使って演じることは視野に入れていたが、「歌の表現方法は一切考えてなかった」として面食らったという[20]。返事を保留して数週間悩み、所属事務所のスタッフに相談したり、レーベルのスタッフと直接会って協議した結果、「おもしろいものを作れるはず」と思えるようになり歌手デビューに至った[20]。 2013年7月1日、オフィシャルブログにて、同年6月30日をもって、2002年デビューから所属していた81プロデュースを退所し、フリーになったことを発表[21]。 2014年7月1日、フリーになってから1年の節目に個人事務所「株式会社Zynchro(ジンクロ)」を設立[22]、現在は同事務所の取締役兼所属[7][8]。 役柄としては、少年、青年役を演じることが多い[4]。演じる役の振れ幅も広く、『聖闘士星矢 THE LOST CANVAS 冥王神話』、『花咲ける青少年』、『鋼の錬金術師 FULLMETAL ALCHEMIST』、『鉄のラインバレル』、『かんなぎ』といった2009年時点ではどの役も、芝居の幅を広げてくれる作品ばかりなため、恵まれてるという[18]。語学が堪能なため、日本語以外を喋る役柄を任されることがある[1]。
来歴
人物・エピソード