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を参照してください。(2014年3月)柾谷小路(まさやこうじ)は、新潟県新潟市中央区にある道路の通称。国道7号、国道116号等の経路の一部となっている。
目次
1 概要
2 風景
3 主要建造物など
4 脚注
5 関連項目
6 外部リンク
概要 1930年頃の柾谷小路
名称こそ「小路」ではあるものの、現在では片側3車線の大通り。新潟駅万代口から萬代橋東詰に至る通称である東大通(ひがしおおどおり)および萬代橋通り(ばんだいばしどおり)から信濃川に架かる萬代橋を介して繋がっており、古くから新潟市の中心部の通りとして栄えてきた。新潟駅、万代シテイ、古町と、新潟市の中心繁華街を結ぶメインストリートである。
明確な区間概念は存在しないが、萬代橋西詰交差点から東中通に通じる寄居町交差点までとされる。全区間が国道の区間となっている(前述の7号、116号の他、重複区間となっている路線もある)。長年萬代橋が信濃川で最も下流の橋だったこともあって渋滞に悩まされてきたが、2002年に下流側に柳都大橋や新潟みなとトンネルが相次いで開通したことによって、渋滞も緩和されてきた。それでも数多くの商業施設や商店などが立ち並んでおり、また日中は交通量も多いことから、現在もなおメインストリートであることには変わりない。
名称の由来は、かつて柾屋四郎衛門(まさやしろうえもん)という商人の名前に由来する。江戸時代、享保の頃の新潟市の地図には、すでに「柾屋小路」の名が見られることから、恐らく江戸時代前期から中期頃の人物であったと思われる。 新潟駅、万代シテイ方面から萬代橋を渡ると左側にホテルオークラ新潟がある。1978年に建てられた16階建てのホテルで、当時新潟市内では最も高い建造物でもあった。この場所にはかつて新潟中央警察署があったが、現在[いつ?]は柾谷小路突き当りの寄居町交差点奥へと移転している。反対側には美川憲一が唄った新潟ブルースの歌碑がある。この歌の中で萬代橋が歌われていることに由来し、1989年新潟市制100周年を記念して建立された。ここから下大川前通り、礎町通りを経て、他門川通りとの交差点である「鏡橋」に至る。鏡橋の名前が示すとおり、ここは1970年頃まで他門川という小さな川が流れていた。しかし戦後はどぶ川のような状態だったと言われている。この付近には旅館も多かったが、現在[いつ?]は減り続けている。鏡橋交差点の角には「ここに鏡橋ありき」の石碑があり、他門川の名前は近くの公園の名前に残されている。鏡橋交差点を下町方向(信濃川河口側)に行くと柳都大橋や新潟みなとトンネルへとつながる。2000年頃から本格化した下町の道路網整備により、周辺は大きく生まれ変わろうとしている。 国道の起点にあたる新潟市道路元標 鏡橋交差点を過ぎると、上大川前通り、本町通りと交差する。このあたりは、柾谷小路から一本下手に当たる新堀通にかつて新潟証券取引所や新潟商工会議所(現:新潟商工会議所中央会館)があったためか、銀行、証券、保険会社などが立ち並び金融街の様相を呈している。また本町には古くから市民の台所と言われる「本町市場」があり、今でこそ数は少なくなったが露店が立ち並んでいる。なお、この本町交差点には新潟市の道路元標があり、国道7号、国道8号、国道113号、国道289号、国道350号の始点、国道17号、国道116号、国道402号の終点になっている。 本町通りの次に横切る通りが東堀通りで、ここを過ぎると次第に賑やかになってくる。このあたりには古くからの商店が軒を連ねている。次に交差する古町通りにはアーケードが設置されており、この古町交差点は新潟駅前と並び新潟市内でも有数の人通りで、日中はスクランブル交差点となる。角には古くからの老舗でもある百貨店大和があったが2010年6月25日で閉店した。大和の向かいには三井住友銀行新潟北支店(旧住友銀行新潟支店)が長らくあったが、新潟駅前の新潟支店(旧さくら銀行新潟支店)に統合された。跡地は専門学校グループのNSGが買い取り、新しく専門学校が建設されている。このNSG系列の専門学校が古町界隈に増えており、学生層が多くなってきたのが近年の特徴でもある。
風景