柴田英嗣
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本名柴田 英嗣
ニックネーム柴っちょ[1]、しばんちゃん[2]、しばひで[3]
生年月日 (1975-07-15) 1975年7月15日(48歳)
出身地静岡県清水市(現・静岡市清水区
血液型B型
身長167 cm
言語日本語
方言標準語静岡弁
最終学歴東海大学工業高等学校
(現・東海大学付属静岡翔洋高等学校
出身スクールJCA3期
コンビ名アンタッチャブル
相方山崎弘也
芸風コント漫才ツッコミ
事務所プロダクション人力舎
活動時期1995年 - 2010年1月
2011年1月 -
同期豊本明長東京03
徳井義実チュートリアル
次長課長
野性爆弾
ブラックマヨネーズ など
配偶者二見直子(2005年 - 2015年
一般女性(2022年 - )
公式サイト

柴田英嗣の平穏な僕柴田英嗣 (@shibata_untouchable) - Instagram
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柴田 英嗣(しばた ひでつぐ、1975年昭和50年〉7月15日 - )は、日本お笑いタレント司会者。お笑いコンビ・アンタッチャブルツッコミ担当。相方は山崎弘也

静岡県清水市(現・静岡市清水区)出身。プロダクション人力舎所属。人力舎のタレント養成所・スクールJCAの第3期生。身長167 cm、体重57 kg。血液型B型。既婚。
経歴

清水市立浜田小学校(現・静岡市立清水浜田小学校)、清水市立第二中学校(現・静岡市立清水第二中学校)、東海大学工業高等学校(現・東海大学付属静岡翔洋高等学校)卒業。

中学生の頃から芸人を志し、高校卒業後に上京。知人のつてで芋洗坂係長より人力舎のタレント養成所スクールJCAを紹介され応募した[4]。もともと高田純次に憧れていた[5]

1994年、スクールJCAに入学し、同期生の山崎弘也お笑いコンビアンタッチャブル」を結成。入学当初は「ボケ」を志望していたが、山崎との出会いで「ツッコミ」に転向した[4]

2003年、『爆笑オンエアバトル』第6回チャンピオン大会優勝。

2004年、「アンタッチャブル」として『M-1グランプリ2004』にて優勝を果たす(その後のコンビ活動の詳細は「アンタッチャブル」を参照)。

2007年12月、急性肝炎で緊急入院し、活動休止。翌年3月に芸能活動を再開。

2010年1月末より、女性とのトラブルで芸能活動を1年間休業し、翌年1月に再開。再開当初の仕事がない時期には動物の知識を蓄え、特に動物に関する仕事のオファーを増やしていった[5]。なお、柴田が活動を再開した後も相方の山崎との共演は当面の間控え、コンビでの活動は事実上の休止状態となった。

2019年11月『全力!脱力タイムズ』(フジテレビ)にて約10年ぶりに相方の山崎と共演を果たし、久々に漫才を披露した。以降、コンビ活動を再開[6]

2022年10月12日、水曜日にレギュラー出演している『ラヴィット!』(TBSテレビ)で再婚したことを発表[7]
芸風

静岡県出身だが、江戸っ子のような「べらんめえ口調」を使うとしばしば指摘される[8][9]

漫才では、例えツッコミや吹き出し笑いをしながらのツッコミ、エスカレートしたボケに反応してその場で崩れ落ちるほどのリアクション、ハイテンションな蹴りツッコミの動きを見せる。また、キレツッコミが関西の漫才師・横山やすしのようだと評価されたことがある[10][11]

テレビ番組等の企画で本来の相方・山崎以外と組んで長尺の即興漫才やアンタッチャブルのネタ等を演じる機会が多く、確かなツッコミの技術と対応能力の高さを見せている。相方の経験があるのは フォーリンラブバービー [12]コウメ太夫ハリウッドザコシショウ小手伸也 [13]古坂大魔王 [14]ヒロシ [15]バイきんぐ・小峠[16]磯山さやかインディアンス・田渕[17][18]ジャニーズWEST [19]ナイツ・土屋[20]、元ザブングル・加藤、プラス・マイナス・岩橋、ウエストランド・井口、ランジャタイ・国崎など。なお『全力!脱力タイムズ』ではゲスト出演した柴田が番組が用意した相方とアドリブ漫才を披露する流れが恒例。

動物の知識の豊富さはよく知られており「動物マニア芸人」の地位を確立している[21]。コント番組『リチャードホール』で演じた動物好きの「パンダプロデューサー」、バラエティ番組や自著・SNSで披露する独特な切り口の「動物の生態」「動物園の楽しみ方」「動物の倒し方」等が有名。動物園や水族館のイベントに企画やMC等で協力することもある[22]

エピソード

3人姉弟の長男。姉と弟がいる。

運動全般が得意。『
Qさま』(テレビ朝日)の鬼ごっこ企画や『逃走中』(フジテレビ)では俊足を活かした活躍を見せた。毎日欠かさず、ウォーキングもしている[23]

小・中学校時代には体操部や野球部に所属。高校時代に模型部を立ち上げたが真面目に活動せず廃部。その後機械工作部でリヤカーを作っていた[24]

小学校時代、ユースサッカーのクラブからスカウトされた経験がある。静岡県のサッカー選抜に選ばれた際、チームメイトに後にサッカー日本代表となる田中誠がいた。練習中、柴田は田中のドリブルテクニックを見て自信を喪失し、サッカー人生に終止符を打った。なお、現在も地元のサッカークラブ「清水エスパルス」のファンである[25]

高校時代にボクシングを習い始め、以降も体を鍛えている。ロバート山本博がボクシングを始めたのは柴田からの勧めがきっかけ[26]

2005年9月に一般人女性との結婚を発表。二児をもうけたが、2015年5月離婚。翌年6月に元妻とファンキー加藤の不倫がスクープされた[27][28]

2006年と2012年にレーシック手術を受け、視力が0.01から1.5に回復。現在は伊達メガネを着用している。

2010年1月末より約1年間休業。理由は体調不良と女性トラブルとされている[29][30]。元交際相手の女性とのトラブルで警察から事情聴取を受けた(後に冤罪と判明)柴田に対し、所属事務所・人力舎の当時の社長が謹慎処分を下した。その後社長は処分を解く前に2010年6月急逝。人力舎は会社の体制を整えることを優先し、柴田の謹慎解除が後回しになったため、休業期間は長期に渡った[31][32]

一番好きな動物はカバであり「カバ最強説」を唱える[33]。動物が好きになったきっかけも、高校時代、動物園で飼育員に話しかけられてカバに興味を持ち、生態を調べ始めたことである[34]。2009年『シカゴマンゴ』(TBSラジオ)でカバ好きをいじられ、自家用車に付けるカバのエンブレム製作について所ジョージに相談。所ジョージは快諾し、無償でエンブレムを作り柴田にプレゼントした[35]

音楽グループのケツメイシのファン。メンバーとも交流があり、ライブツアーのコントパートの脚本・演出・出演[36]MVクリエイティブ・ディレクター[37]等を何度も務める。プライベートでは友人と「シバメイシ」というカラオケサークルを結成している[38]

趣味でもあるダーツの大会でMCを務めたり、競技者として参加することもある。日本ダーツ協会のオフィシャルサポーターでもある[39]

ゴルフ好きでベストスコアは78[40]。ゴルフのレッスン番組やゴルフ中継の副音声[41]などの出演も多い。

ハリウッドザコシショウは清水市立第二中学校(現・静岡市立清水第二中学校)の2年先輩[42]


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