柴又
町丁
帝釈天参道沿いの商店街
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度45分31秒 東経139度52分42秒 / 北緯35.758597度 東経139.878247度 / 35.758597; 139.878247
座標位置:柴又帝釈天付近[1]
国 日本
都道府県 東京都
特別区 葛飾区
地域柴又・高砂地域
人口情報(2023年(令和5年)1月1日現在[2])
人口22,907 人
世帯数11,745 世帯
面積([3])
1.742702893 km²
人口密度13144.52 人/km²
郵便番号125-0052[4]
市外局番03(東京MA)[5]
ナンバープレート葛飾
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柴又(しばまた)は、東京都葛飾区の地名。現行行政町名は柴又一丁目から柴又七丁目。住居表示実施済区域。 古くから題経寺(柴又帝釈天)の門前町として知られていたが、映画『男はつらいよ』の舞台となったことでさらに広く認知されるようになった。江戸川の西岸に位置し、対岸の千葉県松戸市・矢切地区とを結ぶ渡し船「矢切の渡し」の渡し場がある。概ね住宅地からなり、北には金町が隣接し、北東に金町浄水場が立地する。東は江戸川の対岸に千葉県の下矢切が、南に鎌倉が、西に高砂と新宿がある。 帝釈天界隈は、環境省の「日本の音風景100選」に選定されている。 住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、柴又1-29-15の地点で32万3000円/m2となっている[6]。 正倉院に残る養老5年(721年)「下総国葛飾郡大嶋郷戸籍」に記されている「嶋俣里」(しままたのり)の比定地(推定される場所)である。男165人、女205人の42戸370人が居住していたという。以後「嶋俣」の地名は応永5年(1398年)の葛西御厨田数注文 近代に入り、南葛飾郡柴又村と号したが、貧しい村は小学校を作ることができなかったため、子供を金町小学校に通学させるために、ほどなくして同郡金町村と併合して同村の一字となった。1932年(昭和7年)、東京市に併合され葛飾区柴又町と名乗り、題経寺界隈を1丁目とし他2および3丁目を設けた。1967年(昭和42年)には住居表示の変更が行われ、同区新宿町4丁目の半部を併合。新域に柴又1-3丁目と町名を付し、旧町を同4-7丁目と改め今日に至っている。そのため、いまだに「柴又町内会」には柴又2丁目と3丁目は含まれておらず、別途「北野町内会」が組織されている。 柴又八幡神社の社殿下付近は「柴又八幡神社古墳」と呼ばれる古墳である。 景観設計・まちづくり・地域活性化 [葛飾柴又帝釈天参道周辺のまちなみ]が、2009年度グッドデザイン賞受賞[7]。2018年(平成30年)2月13日に「葛飾柴又の文化的景観」が都内初の国の重要文化的景観に選定された[8][9]。 2023年(令和5年)1月1日現在(東京都発表)の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
地理
地価
歴史柴又帝釈天
世帯数と人口