柳窪
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柳窪
町丁
古民家を囲む屋敷林と生垣(柳窪4丁目)
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.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度44分42.9秒 東経139度29分44.2秒 / 北緯35.745250度 東経139.495611度 / 35.745250; 139.495611
日本
都道府県 東京都
東久留米市
面積(2013年1月1日[1]
 ? 合計0.89 km2
標高64.0 m
人口(2017年(平成29年)12月1日現在)[2]
 ? 合計5,327人
 ? 密度6,000人/km2
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号203-0044[3]
市外局番042[4]
ナンバープレート多摩[5]
自動車登録住所コード13 521 0247[6]
※座標・標高はくるみ保育園(柳窪二丁目15番6号)付近
古民家と欅の古木(柳窪1丁目)

柳窪(やなぎくぼ)は、東京都東久留米市の西端に位置する町丁[7]。柳窪一丁目から柳窪五丁目まである[7]。柳久保とも表記する[8]住民基本台帳に基づく2017年(平成29年)4月1日現在の人口は5,412人[9]、2013年(平成25年)1月1日現在の面積は0.89km2[1]郵便番号203-0044[3]

東久留米市内を流れる黒目川の源流域の柳窪には、江戸時代末期から昭和初期までに建築された伝統的な造りの大・中型民家、白壁の土蔵群、古民家を取り囲むヒイラギ生垣ケヤキカシなどの高木・巨木がそびえ立つ屋敷林が見られ、周辺の畑地と併せて、江戸時代の武蔵野の農村集落の面影を今に残している[10]。黒目川源流域に沿った一帯1.3592ヘクタール東京都が管理する「柳窪緑地保全地域」に指定されている[11]
地理

東久留米市の西端に位置し、西は東村山市、南は小平市と接する[7]。南部を東西方向に新青梅街道が通過する地域であり、大部分は住宅地として利用されている[7]。二丁目に山崎製パン武蔵野工場、四丁目に黒目川の水源、五丁目に東久留米市立第十小学校がある[7]

北は下里三丁目・四丁目、東は滝山五丁目・六丁目、南は小平市大沼町二丁目・四丁目、小平市美園町三丁目、西は東村山市萩山町五丁目、東村山市恩多町一丁目・二丁目、青葉町一丁目と接する。
小・中学校の学区

公立中学校に通学する場合、学区は次のように指定されている[12][13]。このうち、第十小学校は柳窪五丁目にある[7]

丁目区域小学校中学校
柳窪一丁目9番、10番1号・36号?55号第十小学校
(旧下里小学校区域)下里中学校
上記以外第十小学校
柳窪二丁目全域
柳窪三丁目
柳窪四丁目
柳窪五丁目

古民家と屋敷林顧想園_村野家住宅(柳窪4丁目)

柳窪には屋敷林に囲まれた江戸時代末期から明治初期の大型民家5軒と明治中期から昭和初期の中規模の伝統的な民家8軒が残っている。また、養蚕による生糸の輸出で栄えた時代の建物もいくつか現存し、実用されている[14]

旧集落内には土蔵が21棟建っている。白壁の土蔵が20棟、外壁に大谷石が積まれている土蔵が1棟で、農村風景の歴史的な環境が維持されている中で、この地区の景観の重要な要素となっている。

江戸時代、大都市となった江戸においては大火が頻繁に起こった。そのため享保期(1716年 - 1735年)以降、幕府は防火対策のひとつとして土蔵等の建築を奨励した。以来、土蔵の建築は農村部にも普及し、柳窪においても幕末から明治・大正期にかけて築かれた土蔵は多い。2008年(平成20年)の日本女子大学住居学科による調査対象となった土蔵群は幕末期3、明治初期3、明治30年代3、大正期1、年代不詳1となっている[15]

この地域には鬱蒼としたケヤキシラカシからなる屋敷林が残っている[16]。そのなかでひときわケヤキの大木が目立つ柳窪四丁目の村野家住宅は、唯一東久留米市内に残る江戸時代の茅葺民家である。同住宅は、江戸から大正期にかけて建てられた貴重な建物として、2011年(平成23年)に主屋等7件が国の登録有形文化財に登録された[17]。同年それらの建物を総称して「顧想園」と命名し、春と秋に一般公募の見学会(都文化財ウイークへの参加など)が実施されている。園内にはさまざまな植生が見られ、なかでも武蔵野では急激に数を減らしてなかなか見られなくなったクマガイソウキンランなどが保護されて、毎年春に花を咲かせる[18]
黒目川源流域と湧水天神社前の黒目川と湧水_東京名湧水57選(柳窪四丁目)

現在は小平霊園内にあり、昔はさいかちの木が何本も生えていたためその名で呼ばれる「さいかち窪」(柳窪三丁目)は、地形的には黒目川の源流部にあたり、雨量の多いときに稀ではあるが林の中に湧水が出現する「幻の湧水」と言われる[19]。黒目川沿いの天神社(柳窪四丁目)付近の湧水は、東京の名湧水57選に指定された[20]。季節や天候により水量は変動し枯れることもあるが、透明でゆるやかな流れと伝統ある社殿、周辺の曲がりくねった道や道祖神は、昔ながらの風景を残している。

2013年(平成25年)に新青梅街道から黒目川沿いに柳窪を縦断して下流の柳橋まで約1kmにわたる遊歩道が開通した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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