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柳田 泉人物情報
生誕 (1894-04-27) 1894年4月27日
日本青森県弘前市
死没1969年6月7日(1969-06-07)(75歳)
出身校早稲田大学
学問
研究分野文学(日本文学)
研究機関早稲田大学、跡見学園女子大学
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柳田 泉(やなぎだ いずみ、1894年(明治27年)4月27日[1] - 1969年(昭和44年)6月7日)は、日本の明治文学研究者・翻訳家。明治文学に関する資料収集・編纂、実証研究で多大な成果がある[2]。 1894年、青森県中津軽郡豊田村(現・弘前市)生まれ。1918年に早稲田大学英文科を卒業[2]。トルストイの小説や、『カーライル全集』、『ホイットマン全集』、『アミエルの日記』など英訳版からの重訳を含め、多くの思想哲学書を翻訳出版した。当初は英文学史研究を志したが、関東大震災で多くの書籍を火災で失ったことをきっかけに明治文学研究へと転向した[2]。1924年には、吉野作造を中心に結成された「明治文化研究会」に参加[2]。 1935年から母校の早稲田大学で文学史を講じ、のち文学部教授となった。『明治文化全集』(日本評論社)や『明治文学全集』(筑摩書房)の編集にも参画、多数の巻を校訂した。内田魯庵『紙魚繁昌記』(新版・平凡社東洋文庫)など、多くの魯庵の著書校訂も手掛けた。 太平洋戦争末期の空襲により、約1万5千冊の蔵書・資料を焼失したが、戦後も資料収集を続け、膨大な蔵書は没後早稲田大学図書館に寄贈され「柳田泉文庫」となった[1]。 晩年は跡見学園女子大学の創設にかかわり、初代文学部長を務めた。1969年、肺炎のため死去[3][4]。
経歴
著書
単著
『希臘思想の研究』春秋社〈新学芸講座 第2編〉、1922年6月。
『幸田露伴』岩波書店〈岩波講座日本文学〉、1932年11月。
『明治初期の翻訳文学』松柏館書店〈明治文学叢刊 第1巻〉、1935年2月。
『政治小説研究』 上巻、春秋社〈明治文学叢刊 第2巻〉、1935年5月。
『政治小説研究』 中巻、春秋社〈明治文学叢刊 第3巻〉、1935年10月。
『政治小説研究』 下巻、春秋社〈明治文学叢刊 第4巻〉、1939年7月。
新訂版 『政治小説研究』 上・中・下巻、春秋社〈明治文学研究 8・9・10〉、1967年。
『明治初期翻訳文学年表』春秋社、1935年。