柳生一族の陰謀
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『柳生一族の陰謀』(やぎゅういちぞくのいんぼう)は、1978年日本映画、及び同年から1979年までテレビ映画として放送された時代劇

映画は主演萬屋錦之介[1][2][3]千葉真一[1][4][5]監督深作欣二製作東映カラー・ワイド・シネマスコープ。上映時間:130分。英語タイトルは『Shogun's Samurai 』。( ⇒ #映画

テレビ映画はKTVの開局20周年記念番組として制作され、千葉真一の主演は変わらず、FNSにて1978年10月3日から翌1979年6月26日までの毎週火曜日22:00 - 22:54に全39話が放映された。英語タイトルは『The Yagyu Conspiracy』。千葉にとってテレビ時代劇初出演作品となった。( ⇒ #テレビ映画

このころ、小説漫画の他メディアによる#派生作品も出版された。

30年後の2008年#テレビ朝日版2012年2013年には#演劇で二部作が上演され、2020年BSプレミアム#NHK版、などのリメイクがされている。
映画

柳生一族の陰謀
Shogun's Samurai
監督
深作欣二
脚本野上龍雄
松田寛夫
深作欣二
ナレーター鈴木瑞穂
出演者萬屋錦之介
千葉真一
松方弘樹
西郷輝彦
大原麗子
原田芳雄
丹波哲郎
芦田伸介
山田五十鈴
三船敏郎
音楽津島利章
撮影中島徹
編集市田勇
製作会社東映
配給 東映
公開 1978年1月21日
上映時間130分
製作国 日本
言語日本語
製作費#予算
興行収入 30億円[6]
配給収入16億2100万円[7]?16億5000万円[8]
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ポータル 映画
プロジェクト 映画

映画・演劇・テレビ界の豪華スター陣を結集し[9]、東映が威信を賭けて時代劇復興を目指して12年ぶりに製作した巨篇[9][10]徳川幕府で発生した兄弟による三代将軍位争奪戦を基に[9]、実在した歴史上の人物と史実をフィクションで織り交ぜ[11]、権力に生きる柳生一族の存続を賭けた壮大なドラマは30億円の興行収入を上げ大ヒットした[6][12][13]配給収入では16億2100?5000万円で同年の邦画配給収入3位になった[注釈 1]

公開翌年に開催された第2回日本アカデミー賞では、萬屋錦之介が優秀主演男優賞、千葉真一が優秀助演男優賞、野上龍雄松田寛夫深作欣二が優秀脚本賞、美術監督の井川徳道が優秀技術賞を受賞した。
ストーリー

元和9年(1623年)、ニ代将軍徳川秀忠が急死。公には「食あたり」とされた。三代将軍には普通なら長男・家光になるはずが、あざの風貌とどもりという体から、秀忠と妻・崇源院於江与に疎まれていた。両親は眉目秀麗な次男・駿河大納言忠長を愛し、後継に据えようと目論み、これを尾張大納言義直尾張紀伊水戸御三家と筆頭老中・土井大炊頭利勝ら老臣一派が期待・支持していた。この動きに対し、若手老中松平伊豆守信綱や家光の乳母で大奥に威勢を張る春日局ら一派は、家光を推してゆずらなかった。後継将軍争いには幕府の権威失墜を期待する京都宮中の一派らの思惑も絡み、大坂夏の陣以来十余年の安定に馴れた天下は、ここに再び動乱の兆を見せ始めていたのである。

大炊頭はお毒見役の死と併せ、秀忠の死に疑念を抱き、渡辺半蔵らに霊廟の遺体から証拠となる胃袋を取り出すよう命じたが、同様な疑いを持っていた家光の剣術指南役・柳生但馬守が、次男・左門、三男・又十郎、末娘・茜らを使い、証拠を奪い返されてしまう。胃から毒を検出した但馬は、伊豆守と春日局の謀と推し量り、来るべく暗闘に備え、武者修行で旅する長男・十兵衛を呼び戻し、所領回復を悲願とする根来左源太率いる根来衆にも加勢を要請する密書を送っていた。

登城すると但馬守は、伊豆守と春日局を問い詰め、その陰謀を聞き出す。その後、この場に呼び出された家光は「秀忠が家光を廃嫡し、忠長を将軍に据えようとしたので、守るために先手を打って毒殺した」と聞かされた。驚愕の真相に一旦は「将軍位には就けない」と拒み、但馬・伊豆・春日を罰しようとするが、将軍の権威と宿命を説く但馬に感化され、彼らと共にあらゆる手を使ってでも将軍になろうと決意する。

一方、忠長は兄を押しのけてまで将軍となることに消極的だった。しかし大炊頭から父の死の疑念を聞かされ、事の大きさと天下万民安寧のために、大炊頭と共に家光と面会し、秀忠の遺体を検めるべきだと具申する。これに対し家光と伊豆・春日は毒殺を取るに足らない噂と否定し、「御遺体を検めるのは嗣子として認めない」と言明。忠長と大炊頭は謀殺を確信し、家光と将軍争いすると決め、崇源院を連れ、駿府藩へ帰国。大炊頭も「病気保養」で暇を申請し、老中を退き、幕府を去った。家光は対抗策として伊豆を筆頭老中に、但馬を大目付に据えた。

伊豆守と春日局は十兵衛と左門を護衛につけてへ上り、家光への将軍宣下朝廷へ促すが、窓口の九条関白三条大納言烏丸少将らは「兄弟が仲直りすることが宣下の条件」と繰り返すばかり。朝廷は家光(江戸)と忠長(駿河)のどちらにも肩入れしないと表面上、装っていた。

兄弟の争いは世間に知れ渡り、駿河藩には仕官目的の浪人が集まり出す。その中には大坂の陣で活躍した天野刑部もおり、藩内には不穏な空気が漂い、潜入していた根来衆は柳生に逐一報告していた。藩番頭別木庄左衛門は江戸へ付け入る口実を与えぬよう、浪人たちを追い出そうとする。忠長は愛人でもある出雲の阿国の念仏踊りを観覧する会に義直、三条、烏丸を招待し、併せて江戸の動向と対策を練る。大炊頭は忠長と伊達政宗の息女・牟宇姫との組をまとめ、北の備えを万全にし、長州の毛利、加賀の前田を味方にしようと旅支度をする。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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