柳澤 龍志基本情報
本名柳澤 敦史
通称不沈艦
国籍 日本
生年月日 (1972-06-22) 1972年6月22日(51歳)
出身地青森県青森市
所属フリー
身長190cm
体重105kg
階級ヘビー級
バックボーンプロレス
テーマ曲rollin'(リンプ・ビズキット)
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柳澤 龍志(やなぎさわ りゅうし、1972年6月22日 - )は、日本のプロレスラー、総合格闘家、キックボクサー。青森県青森市出身。 中学、高校時代をむつ市で過ごす。青森県立田名部高等学校時代はボート部に所属し、インターハイに出場した。 1991年、プロフェッショナルレスリング藤原組に入団。1992年4月19日、東京体育館での冨宅祐輔戦でデビュー。 1992年12月、船木誠勝・鈴木みのるらと共に、藤原組を離脱[1]。 1993年9月21日、パンクラスでプロ総合格闘技デビュー戦を行い、バス・ルッテンと対戦しKO負け。 1993年10月14日、プロ総合格闘技2戦目で船木誠勝に膝十字固めで一本負けを喫した。 1993年11月27日、キックボクシングデビュー戦で後のボクシングWBC世界ヘビー級王者ビタリ・クリチコと対戦し判定負け。 1995年7月23日、ネオブラッド・トーナメントの決勝戦で伊藤崇文に判定負けで準優勝となる。 1996年10月8日、セーム・シュルトにアンクルホールドで一本勝ち。 1998年9月14日、キング・オブ・パンクラス・タイトルマッチで王者のガイ・メッツァーに挑戦。判定負けを喫し王座獲得に失敗した。 2000年6月にパンクラスを離脱。前田憲作主宰のチームドラゴンへ移籍して、総合格闘技ではリングス、打撃格闘技ではK-1を主戦場に移した。 2000年7月7日、K-1 JAPAN GP 2000 準々決勝で武蔵と対戦し判定負け。 2000年10月9日、リングス KING of KINGS Aブロック1回戦でボリス・ジュリアスコフに一本勝ちするも、続く2回戦でランディ・クートゥアに判定負けを喫した。 2001年10月20日、リングス WORLD TITLE SERIESのワールドタイトル決定トーナメント 無差別級 1回戦でエメリヤーエンコ・ヒョードルと対戦し、判定負けを喫した。 2002年1月27日、K-1 RISING 2002でミルコ・クロコップと対戦し、カットによりTKO負けを喫した。 活躍の場をプロレスに移すと、魔界倶楽部の一員として新日本プロレスに登場。鈴木健想、吉江豊を倒してヤングライオン杯優勝。そして高山善廣が当時保持していたNWF王座に挑戦するも敗北。それ以降、魔界倶楽部が消滅し、同志の村上和成、柴田勝頼が新日本を離脱すると、蝶野正洋のBNJ (BLACK NEW JAPAN) に入るなどした。 2004年11月7日、古巣パンクラスに4年8か月ぶりに参戦。野地竜太と対戦したが、判定負け。 2005年、坂口征二設立の坂口道場にて総合格闘技コーチに就任。 2006年、新日本との契約が切れてフリーになった(新日本とは試合ごとの契約だった)。 2007年9月26日、K-1 WORLD GP 2007 IN SEOUL FINAL16のスーパーファイトでキム・ヨンヒョンと対戦し、判定負け。 2009年8月23日、約4年8か月ぶりの総合格闘技ルールでの試合となったDEEP 43 IMPACTでベルナール・アッカと対戦し、開始7秒右ハイキックでKO負け。 総合格闘技 戦績 勝敗対戦相手試合結果大会名開催年月日
来歴
プロレス
人物・エピソード
パンクラスではセーム・シュルト、リングスではエメリヤーエンコ・ヒョードル、ランディ・クートゥア、K-1ではミルコ・クロコップ、キックボクシングではビタリ・クリチコ(後のボクシングWBC世界ヘビー級王者)といった強豪選手との対戦経験を持つ。
戦績
総合格闘技
58 試合(T)KO一本判定その他引き分け無効試合
24 勝4155090
25 敗65140
×イ・ドゥルヒ5分2R終了 判定0-3DEEP&CMA大感謝祭!2009年11月10日
×ベルナール・アッカ1R 0:07 KO(右ハイキック)DEEP 43 IMPACT2009年8月23日
×野地竜太5分3R終了 判定0-3PANCRASE 2004 BRAVE TOUR2004年11月7日
×エメリヤーエンコ・ヒョードル5分3R終了 判定0-3リングス WORLD TITLE SERIES
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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