柳橋_(台東区)
[Wikipedia|▼Menu]

この項目では、台東区の地名について説明しています。神田川の橋については「柳橋 (神田川)」をご覧ください。
日本 > 東京都 > 台東区 > 柳橋

柳橋
町丁
柳橋北詰(写真奥)が台東区柳橋
柳橋柳橋の位置
北緯35度41分46.89秒 東経139度47分13.3秒 / 北緯35.6963583度 東経139.787028度 / 35.6963583; 139.787028
日本
都道府県 東京都
特別区 台東区
地域浅草地域
人口(2017年(平成29年)12月1日現在)[1]
 ? 合計3,053人
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号111-0052[2]
市外局番03[3]
ナンバープレート足立

柳橋(やなぎばし)は、東京都台東区町名。現行行政地名は柳橋一丁目及び柳橋二丁目。郵便番号は111-0052[2]
目次

1 地理

1.1 河川


2 歴史

2.1 旧町名

2.2 地名の由来


3 世帯数と人口

4 小・中学校の学区

5 交通

5.1 鉄道

5.2 道路


6 脚注

7 関連項目

8 外部リンク

地理

台東区の南端に位置する。北で蔵前、東で隅田川を跨いで墨田区横網両国、南で中央区東日本橋日本橋馬喰町、西で浅草橋と接する。沖積平野にあたり地形は平坦であり、東を隅田川、南を神田川が流れる。墨田区側には鉄道橋総武線隅田川橋梁)以外に直接渡る手段がない。南西に一丁目、北東に二丁目が配される。国道6号沿いにあたり、主に商業地として利用される。
河川

神田川 - 浅草橋(国道6号江戸通り〕)、柳橋柳橋通り)が架かる。

隅田川 - 総武線隅田川橋梁が架かる。

歴史

柳橋は1630年江戸時代徳川幕府が設置した米蔵「浅草御蔵」の一部として指定されており、現在の柳橋2丁目には三河岡崎藩邸や信濃上田藩邸などの武家屋敷が置かれており官有地となっていた。浅草御蔵は隅田川の西岸、神田川北側の一画に、南は現在の柳橋2丁目より、北は蔵前3丁目にかけて位置していた[4]。浅草御蔵は幕府の米蔵であり、地租が金納となったのちは米廩(べいりん)、または米蔵と呼ばれ、1878年明治11年)以降は大蔵省内において大阪など全国の米蔵を掌握し、米価の調節など貯蓄米にかかわる事務を行った常平局が管理し、浅草御蔵の地に本局をおいた。柳橋1丁目は浅草旅籠町などが中心に江戸前料亭が軒を連ね、特に柳橋芸妓で知られた。

関東大震災後の復興区画整理にともない、1934年昭和9年)に町名が変更され、従前の下平右衛門町の大部分・新森田町・新片町・旅籠町の大部分が浅草区柳橋1丁目、旅籠町の一部・旅籠町2丁目・瓦町東部・須賀町東部・御蔵前片町東部が浅草区柳橋2丁目となった。1947年昭和22年)3月15日下谷区と浅草区が合併し台東区柳橋1丁目及び2丁目となり、1964年(昭和39年)に住居表示が実施され現行の柳橋1丁目・2丁目となっている。
旧町名

浅草新森田町


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:18 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef