.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}柳家(やなぎや) 三三(さんざ)
Yanagiya Sanza
十代目柳家小三治一門定紋「変わり羽団扇」
本名蛭田(ひるた) 健司(けんじ)
別名ミミちゃん
生年月日 (1974-07-04) 1974年7月4日(47歳)
出身地 日本・神奈川県
師匠十代目柳家小三治
名跡1. 柳家小多け
(1993年 - 1996年)
2. 柳家三三
(1996年 - )
出囃子京鹿子娘道成寺
活動期間1993年 -
活動内容落語家
所属落語協会マネジメント
オフィスまめかな(業務提携)
ショーキャンプ有限会社
柳家 三三(やなぎや さんざ、1974年7月4日 - )は、神奈川県小田原市出身の落語家。落語協会所属、同協会理事。本名?蛭田 健司。出囃子?『京鹿子娘道成寺』。愛称はミミちゃん。
かつては「柳家さん三」という名前があった。目次
1 経歴
2 芸歴
3 役職
4 活動
5 受賞歴
6 弟子
6.1 廃業
7 出演
7.1 テレビ
7.2 映画
7.3 舞台
7.4 CM
7.5 連載
7.6 著書
8 趣味
9 脚注
9.1 注釈
9.2 出典
10 外部リンク
経歴)を見て強い興味を覚える。中学生になって東京の寄席に通うようになる。勉強が大嫌いで、どうしたら勉強しなくて済むか学校に行かなくて済むかを考えて落語家を志す。入門に関しては、「フィーリング(後光)」を感じて中学2年の時に十代目柳家小三治に頼みに行って一度「高校ぐらいでなくちゃ」と断られ、高校卒業後の1993年(平成5年)3月に再度小三治の門を叩き入門を許される[2]。同年5月に楽屋入りし、前座となった。前座名は「小多け」。初高座は同年10月、新宿末広亭において『道灌』を演じた[2]。
二ツ目昇進は1996年で、名を「三三」に改めた[2]。平均して1日1席以上、7席やったこともあり、2005年(平成17年)は430高座こなした。また師匠小三治によると落研など天狗連での経験が一切なく、小三治による純粋培養ともいわれている。
2006年(平成18年)1月に四派の若手同士で『平成噺し座』を旗揚げする。同年柳家獅堂、林家久蔵、六代目柳亭左龍、三代目柳家甚語楼[3]と共に真打昇進。3月をもって噺し座卒業生第1号となった。 2007年(平成19年)公開の青春映画「しゃべれどもしゃべれども」(平山秀幸監督、佐藤多佳子原作)にて落語家役で主演した国分太一(TOKIO)に稽古をつけている[2]。
芸歴
1993年
3月 - 十代目柳家小三治に入門。
5月 - 楽屋入り、前座名「小多け」。
1996年5月 - 二ツ目昇進、「三三」と改名。
2006年3月 - 真打昇進。
役職
2020年?落語協会理事に就任
活動