柳営秘鑑
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『柳営秘鑑』(りゅうえいひかん)は、江戸幕府年中行事、諸士勤務の執務内規、格式故事、旧例などを記した書物。幕臣の菊池弥門著。寛保3年(1743年)に成立した。10巻。
概要.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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『柳営秘鑑』は、江戸幕府の年中儀礼、殿中の格式、故事、旧例、武家方の法規などを記載しており、三つ葉葵紋の由来、扇の馬印の由来、譜代の列(安祥譜代、岡崎譜代、駿河譜代など)などが記載されている。著者は菊池弥門。原本(定本)は10巻。ただし続巻が多く、『後編柳営秘鑑』(12巻)、『拾遺柳営秘鑑』(5巻)、『柳営秘鑑脱漏』(12巻)、『温知柳営秘鑑』(12巻)、『残集柳営秘鑑』(10巻)、『新益柳営秘鑑』(10巻)がある。

江戸幕府の教育施設で林羅山に由来する昌平坂学問所の旧蔵本が、はじめの10巻と続巻を含めた形で原本として存在する。国立国会図書館所蔵。この複製が『内閣文庫所蔵史籍叢刊』(汲古書院、1981年)から「柳営秘鑑」の題で刊行されている。

大名の格式等に関する法曹法(役所の執務内規)として用いられた。書名にある柳営とは、幕府将軍将軍家を指す用語である。ただし内容は江戸時代を通してのものではなく、享保期中心に記載されている。

幕府の『柳営秘鑑』に範をとり、編纂されたものに、金沢藩前田家の『北藩秘鑑』、姫路藩の『姫陽秘鑑』(姫路市)がある。

柳営秘鑑は、民間に出回ったものではないと言う。(一橋大学附属図書館)
内容

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御普代の規定

譜代大名たる「御普代」にあたる家や該当する譜代の種類を以下のように記す。

「一、三河安祥之七御普代、
酒井左衛門尉・元来御普代上座、大久保本多、元来 田ニ作(?)、中興ニ至テ美濃守故有之 多ニ改、阿部石川青山植村、右七家を云。又ハ或ハ酒井、大久保、本多、大須賀家筋無、榊原平岩、植村共イエリ。」


「一、三河岡崎御普代、井伊、榊原、鳥居戸田永井水野内藤安藤久世・元来大須賀ノ出成候、井上、同上、阿部、秋本渡邊伊丹家筋残候、屋代、同上。此十六家ヲ云。」

扇の御馬印について

徳川家康馬印の一つ「大馬印」の由来を述べている。大馬印の由来は諸説あるが、柳営秘鑑では本多中務大輔家由来説を次のように示している。

「一、扇の御馬印ハ五本骨ニ而親骨の方を竿付尓して被為持。元来、本多平八郎忠高所持之持物尓て数度の戦功顕し。天文十八年(1549年安祥城責の時、一番乗りして討死之後、其子中書忠勝相伝、用之処、文禄二年(1594年)大神君御所望有て、御当家随一の御馬印ニ被成置。」

この記述は常山紀談でも、類似した話が掲載されている。

「金の七本骨の扇の御馬印の事/東照宮、金の七本骨の扇に日丸(ひのまる)附けたる馬印は、参河の設楽郡(注;宝飯郡の誤り)牛窪の牧野半右衛門が印なりしを、永禄六年(1563年)に乞ひ得させられて馬印となし給ふ。夫より前の御印は厭離穢土欣求浄土の八字を書きたるにて、大樹寺の登誉が筆なり。其印明暦丁酉の火災にかかれりと言へり。然れども扇の御印は其前よりの事にや。天文十四年(1545年),公矢矧川にて織田家と軍ありし時、利無くて危かりしに、本多吉右衛門忠豊、疾く岡崎に入らせ給へ。御馬印を賜はり討死すべし、と申せ共許されず。扇の御馬印を取て清田畷にて討死しける。其隙に危きを逓れ給へり。御印は忠豊が嫡子平八郎忠高が家に相伝へ、忠高も又戦死しける。其子忠勝が時に至りて、永禄二年(1559年)東照宮乞ひ返させ給ひたりと云へり。」

三つ葉葵紋の由来

徳川氏の家紋である三つ葉葵紋の由来を解説している。由来には諸説あるが、柳営秘鑑に記載されるのは酒井家由来説である。その内容は次のとおり。

文明11年7月15日(1479年新暦8月2日)の安祥城攻の時、酒井家始祖・酒井親清が、丸盆に葵葉三つを鼎のごとく置き、熨斗、搗栗、昆布を盛って松平信光に献じた。その後この合戦に勝利をしたため、この三つ葵を酒井家の紋とすることになった。五代松平長親の時、文亀元年9月(1501年新暦10月)今川方の伊勢新九郎を撃退した際、酒井氏忠・親重からこの紋を返してもらう形をとって松平家の家紋と定め、酒井家には酢漿草の紋を与えたという。

研究会

『柳営秘鑑』研究会(
國學院大學史学科日本近世史、根岸茂夫)

写本

一橋大学附属図書館所蔵幸田文庫(幸田成友東京商科大学教授、幸田露伴の弟、父・幸田成延;旧幕府表坊主役)柳営秘鑑;菊池弥門;写本;松山文庫の印記。

名古屋市蓬左文庫所蔵、天保7年の写本

永青文庫(旧熊本藩主細川家所蔵の旧記録・古文書、徳川幕府・法令・柳営秘鑑)所蔵、文化10年の写本(熊本大学附属図書館「細川家北岡文庫」寄託)

関連項目

譜代大名

徳川家康の馬印

三つ葉葵


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