柳井正
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やない ただし柳井 正
生誕 (1949-02-07)
1949年2月7日(73歳)
日本 山口県
住居 日本 東京都
国籍 日本
出身校早稲田大学政治経済学部卒業
職業実業家
給料4億円(2018年度)[1]
純資産 438億ドル(2021年1月)[2]
肩書き株式会社ファーストリテイリング
代表取締役会長社長
株式会社ユニクロ
代表取締役会長兼社長
株式会社ジーユー
取締役会長
日本ベンチャーキャピタル株式会社
社外取締役
取締役会株式会社ファーストリテイリング
株式会社ユニクロ
(他子会社18社取締役)
株式会社ジーユー
日本ベンチャーキャピタル株式会社
配偶者柳井照代
子供2人

柳井 正(やない ただし、1949年昭和24年〉2月7日 - )は、日本実業家資産家。カジュアル衣料の製造販売「ユニクロ」を中心とした企業グループ持株会社であるファーストリテイリング代表取締役会長兼社長。ユニクロ代表取締役会長兼社長。ジーユー取締役会長[3]

2001年よりソフトバンクグループ社外取締役を務めていたが、2019年に退任した[3][4]。日本最大の資産家であり、2022年のフォーブス長者番付で世界54位、日本1位[5]。保有資産額は2021年4月時点で、441億米ドル (約4兆6,270億円)[2]
経歴

山口県宇部市中央町出身。小さい頃は普通の子で体育の時間など勉強以外の時間が楽しかった[6]。戦後復員した父・柳井等は、正が生まれた1949年に兄・柳井政雄が代表を務める小郡商事から繊維・洋服部門を任され、紳士服小売りの「メンズショップ小郡商事」を立ち上げ、1963年にファーストリテイリングの前身となる小郡商事株式会社を設立した人物[7]。正が中学生になるころ、父・等は地元のヤクザと組んで土建屋の経営にも手を広げ、次第に街の顔役として幅を利かせるようになった[7]。中学校には歩いて1時間かけて通学していた。帰りに川で魚を釣ったり野球をしたりしていたという[6]

山口県立宇部高校では「クラスで後ろから五番目ぐらいの成績」だったという[8]。苦手な数学が入試科目にない大学の中では最難関の[9]早稲田大学政治経済学部経済学科に進んだ[7]。大学時代は、映画パチンコ麻雀でぶらぶらしていた4年間だった[7]。大学2年の夏休みから父の資金援助で200万円以上かけて世界一周旅行し[8]、のちに妻となる女性とめぐりあった[10]。就職活動で大手商社を受けたが、ことごとく落ちた[7]。進路の決まらないまま1971年3月に大学を卒業したが、同年5月、父親の勧めでジャスコ(現在のイオンリテール)に入社[7][11]

ジャスコ四日市店で家庭雑貨売場を担当したが、働くのが嫌になり9ヶ月で退職、半年程友人の家に居候した後、帰省して実家の小郡商事に入社。当時小郡商事が展開していた店舗「メンズショップOS」で取り扱っていたのは紳士服などの男性向け衣料が中心であったが、12年経営に携わる間、洋服の青山アオキなどの郊外型紳士服店が業績を拡大したため、後発を避け安価で、日常的なカジュアル衣料の販売店を着想し全国展開を目指した。カジュアルに拘った理由は紳士服(スーツ)のように接客を必要としない、物が良ければ売れるという点が自身の性に合ったためという[12]

1984年(昭和59年)、父の後を受け小郡商事社長に就任。「ユニークな衣料 (clothes) 」ということで「ユニーク・クロージング・ウエアハウス(Unique Clothing Warehouse、略称ユニ・クロ)」と銘打って同年6月、まず広島市にその第一号店を開店。1号店は今と異なり、有名ブランドを安価で販売する形態。(いわゆるバッタ屋に近い。)ユニクロで買い物をするのは「恥ずかしい」との評があった。そのため店舗の周りにはユニクロのオリジナル買い物袋を持って歩くのを恥じた客が商品を別の袋に移し替える状況があった。そのような状況でBASSのローファーに偽物が混じって居り、ますますユニクロの評判を落とし苦境に追い込まれる。これを契機としてオリジナル商品開発を始める。その後中国地方を中心に店舗を拡大していく。

1986年、視察で訪れた香港でアパレルチェーン「ジョルダーノ」創業者のジミーライと面談。中国出身のジミーが製造小売業をやっていたことに衝撃を受け、 「彼は、ぼくと同じ年齢。失礼を承知で言うと、パッと見は大したことないオッサンが大したことをやっているな、という感じだった。『この人にできて、ぼくにできないはずはない』。そう思った。彼からは『商売には国境がないこと、製造と販売の境がないこと」を学んだ」以上は柳井正著「一勝九敗」(新潮社)より。

ユニクロの路線が、徐々に陽の目を見るようになった1991年(平成3年)、社名を「ファーストリテイリング」に変更。2002年(平成14年)、代表取締役会長兼最高経営責任者 (CEO) に就任。いったん社長を退くも、2005年(平成17年)には再び社長に復帰。同年、持株会社制への移行を受けて、グループ各社の会長職を兼務している。
人物
人柄

子供の頃は内向的だった[7]。高校ではサッカー部に入っていたが、父が「いい大学に入ってほしい」と述べたためすぐに辞めた[7]。趣味はゴルフで、自宅に打ちっぱなしのネットが張ってある[7]は飲めない[7]。ひいきの料理屋はない[7]。尊敬する経営者はウォルマートの創業者サム・ウォルトンダイエー中内?日本マクドナルド藤田田[7]。現在は東京都渋谷区大山町在住[13]。二男の父[13]
経営観

ファーストリテイリング、ユニクロがグローバル展開するにあたり、独自の経営観を披露している。ユニクロの、特に若手社員に対する労働環境が厳しいのではとの批判(いわゆるブラック企業批判、ユニクロ#労働環境参照)を受けて、2013年に日経ビジネスで語った自身の社員教育方針については、「僕が若い社員に『海外に行ってくれ』と繰り返し言うのは、本当の意味で経営者になってほしいからです。それができないのであれば、当然ですけど、単純労働と同じような賃金になってしまう」「僕は将来、本当に若者が活躍できる世の中になれば、25歳以上は全員対等に評価すべきだと思っています。(中略)25歳くらいまでに基本的な考え方を決めて、努力を重ねて35歳くらいで執行役員になる。そして45歳くらいでCEOになるのが、正常な姿だと思っています。だからこそ、若いころに甘やかされてはいけないと思っています」との観点を示している[14]

同社が世界展開する各国の社員の給与体系・給与水準を事実上同一化する、いわゆる「世界同一賃金」構想を披露した際には、朝日新聞へのインタビューにおいて「世界どこでも、やる仕事が同じだったら同じ賃金にするというのが基本的な考え方。海外にも優秀な人材がいる。グローバルに事業を展開するのに、あまりに賃金が違いすぎるのでは機能しない」「日本の店長やパートより欧米の店長のほうがよほど(賃金が)高い。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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