柳ヶ瀬ブルース
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「柳ヶ瀬ブルース」
美川憲一シングル
B面ひとすじの涙
リリース1966年4月1日 (1966-04-01)
ジャンルムード歌謡
時間3分32秒
レーベル日本クラウン
作詞・作曲宇佐英雄(作詞・作曲)
美川憲一 シングル 年表

あの娘が好きと云った花
1965年)柳ヶ瀬ブルース
1966年)柳ヶ瀬の女
(1966年)


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「柳ヶ瀬ブルース」(やながせブルース)は、1966年4月1日に発売された美川憲一の3枚目のシングルである。
解説

作詞作曲者の宇佐英雄
岐阜市の歓楽街『柳ヶ瀬[注釈 1]流しでこの曲を歌っていたが、彼が自費製作したフィルム・レコードを入手した日本クラウンのディレクター長田幸治が、デビュー当初は青春歌謡路線を歌っていた美川憲一について、「(美川に)青春歌謡路線は向いていない」と判断し、路線を転換させるために3枚目のシングル盤として歌わせたものであり[1]、実際に美川が演歌ムード歌謡路線に方向転換する転機になった曲である。青春歌謡と比べ暗い曲調のため、当初は美川自身「私は明るい性格だから」などという理由により歌いたくなかったとしばしば番組などで語っている。


日本クラウンは曲の舞台となった地元柳ヶ瀬とタイアップし、この曲が柳ヶ瀬で流行っているとして、スポーツ新聞週刊誌記者を取材ツアーに招待、地元でも記者の飲食費を負担するとともに、当日はどこに行ってもこの曲を流し、歌うようにしておいた[2]。このタイアップの結果、この曲が120万枚を超える大ヒット曲となって柳ヶ瀬の地名が全国に知られるようになるとともに、美川自身もスター歌手としての地位を確立することとなる。


いわゆる「ご当地ソング」という言葉は、当曲が評判になり始めた頃クラウンレコード(日本クラウン)の宣伝担当者が使い出して広まったとされる[3]


また、この曲は、1967年に出した『新潟ブルース』、1968年に出した『釧路の夜』と共に、美川のご当地ソングシリーズ三大ヒット曲と謳われている。


さらに、『柳ヶ瀬ブルース』をモチーフにして東映同名タイトルの映画梅宮辰夫主演で製作、美川も出演して劇中で同曲を歌唱している[4](後述)。


1990年に新録音されたバージョンもあり、ベスト版ではこちらが収録されている場合も多い。なおオリジナル版と比較すると全体的に節回しがやや違う。1991年には新録音バージョンがシングルリリースされた。


1991年4月に、柳ヶ瀬商店街のアーケード地面に、蒔田浩(当時の岐阜市長)の筆により柳ヶ瀬ブルース歌碑が設置された。歌碑には1番の歌詞が記されている。


2016年4月には柳ヶ瀬ブルース発売から50年を迎えた。またマレーシアでは荘学忠によって『忘??不容易』のタイトルで北京語カバーされた。

収録曲
オリジナル盤
柳ヶ瀬ブルース (3分32秒)作詞・作曲:宇佐英雄
/編曲:小杉仁三

ひとすじの涙 (3分15秒)作詞:星野哲郎/作曲・編曲:小杉仁三

1991年盤
柳ヶ瀬ブルース(New Attack Version)作詞・作曲:宇佐英雄/編曲:
服部克久

お金をちょうだい(New Attack Version)作詞:星野哲郎/作曲:中川博之/編曲:清水靖晃

柳ヶ瀬ブルース(New Attack Version)〈カラオケ〉

お金をちょうだい(New Attack Version)〈カラオケ〉

カバー

春日八郎(アルバム「昭和歌謡を歌う ー珠玉のカバーソング・コレクション」収録)

石原裕次郎(アルバム「昭和流行歌カバー特選集」収録)

藤圭子(1970年 1st アルバム「新宿の女/“演歌の星”藤圭子のすべて」収録)

八代亜紀(CD全10巻「八代亜紀の世界(vol.5 ムード歌謡を唄う2)」)

吉幾三(アルバム「いろはにほへどはやり唄(一)男ごころにおんな唄」収録)

HONEST・辻(アルバム「心の唄ベスト16」収録)
他、青江三奈西田佐知子など多数。
映画

柳ヶ瀬ブルース
Yanagase Blues
監督
村山新治
脚本成澤昌茂
製作園田実彦、吉田達(「企画」名義)
出演者梅宮辰夫野川由美子
音楽八木正生
撮影坪井誠
編集田中修
製作会社東映東京撮影所
配給東映
公開1967年9月15日
上映時間87分
製作国 日本
言語日本語
次作盛り場ブルース
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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