柯文哲
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中華民国台湾)の政治家柯 文哲Ko Wen-je
2024年
生年月日 (1959-08-06) 1959年8月6日(64歳)
出生地 中華民国台湾省新竹県新竹市
(現:新竹市北区
出身校国立陽明大学
国立台湾大学
所属政党無所属( - 2019年)
台湾民衆党(2019年 - )
配偶者陳佩h(中国語版)
台湾民衆党
初代 主席
在任期間2019年8月6日 - 現職
第4代 台北市長
当選回数2回
在任期間2014年12月25日 - 2022年12月25日
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柯 文哲
YouTube
チャンネル

柯文哲

活動期間2014年5月29日 -
ジャンル政治
登録者数114万人
(2024年1月30日)
総再生回数202,242,115回
(2024年1月30日)
YouTube Creator Awards

登録者100,000人2018年10月17日
登録者1,000,000人2024年1月8日

チャンネル登録者数・総再生回数は
2024年1月30日時点。
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柯 文哲
職業:医者政治家
各種表記
繁体字:柯 文哲
簡体字:柯 文哲
?音:K? Wenzhe
通用?音:Ke wunjhe
ラテン字:Ko Wen-je
台湾語:Koa Bun-tiat
和名表記:か・ぶんてつ
発音転記:コー・ウェンチョー
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柯 文哲(か ぶんてつ、1959年民国48年〉8月6日 - )は、中華民国台湾〉の外科医政治家台湾民衆党主席(初代)、台北市長(第6・7代)。

国立台湾大学医学部附属病院(台大医院)医師、台大医院創傷医学部主任、台大医学院教授を歴任。専門は外科医学、緊急救命、臓器移植体外式膜型人工肺(ECMO)、人工臓器などで、ECMOを国内に初導入した第一人者として台湾における集中治療の発展に貢献した。

2014年の市長選挙で台北市の市長に当選し、2019年には2020年の立法委員選挙を見据えて設立した中道政党台湾民衆党(戦前の台湾民衆党とは異なる)の党首にも就任した[1]

柯P、KP(PはProfessorの略字,台湾大学医学院内での呼び方)と呼ばれることで有名。
経歴

1959年新竹市生まれ。祖父の柯世元は日本統治時代には教師だったが、二・二八事件で国民党政府により逮捕・拘禁された後に54歳で病死している[2][3]。父の柯承発は台湾大学医学部に入学したが、世元が国民党政府による勾留と虐待により病に倒れた後は台大を中退し、新竹師範専科学校に転学した。同校卒業後にマーシャル諸島にて水力発電の仕事に就き、帰国後は、日本語に精通していたため、新竹科学工業園区(中国語版)で日系企業の顧問を務めた。承発は、息子の文哲が台北市長に立候補すると宣言した際には、世元が二・二八事件で亡くなった事もあり反対した[4]

国立新竹高級中学を卒業後、国立陽明大学医学部に進学するが、大学2年次に再入試を受け、国立台湾大学医学部に入学した。全国一位で医師資格を取得後は恩師の著名な外科医朱樹勲(中国語版)の下で外科、救急医療に携わった。1993年ミネソタ大学ツインシティー校医学部外科に1年研修に行き、人工肝臓の研究をした。帰国後は台湾大学附属医院の主治医、創傷医学担当主任を歴任した。また在職中に臓器移植のチーム「台大器官移植小組」を設立し、台湾における臓器移植手順の確立に努めた。また体外式膜型人工肺(ECMO)を導入した[5][6]

2002年、台湾大学医学部で臨床医学博士号を取得した。

2010年11月26日、後に柯の対立候補となる国民党の政治家連勝文が選挙演説中に銃撃され(連勝文銃撃事件(中国語版))、台大医院に運ばれた際、手術を指揮した。

2011年国立台湾大学医学部附属病院でエイズ感染者の臓器を誤って移植してしまう事件が起こったとき、柯文哲も監督責任を問われた。ところが、行政も含めたシステム全体の問題を一方的に押し付けられたことに対し彼は臆せず発言したため注目を浴びた[7]。詳細は「台大医院エイズ患者臓器移植事件(中国語版)」を参照

2013年には、その後時代力量主席となる黄国昌の父の手術を台大医院で執刀している[8]
政治家として
台北市長就任前

1994年陳水扁が台北市長に当選した当時、柯は陳の医学界後援会幹部であり、陳の総統当選時も後援していた[9]

2012年中華民国総統選挙の際は蔡英文を支持した[10]他、2013年には台湾独立派団体による908台湾国運動の大会に参加し、「中華民国」に代わる新たな国名として「台湾共和国」の提案を支持した[11]。また2014年台湾学生による立法院占拠の際には応援に駆けつけた[12]
台北市長選挙

2014年11月の台北市長選挙には無所属で出馬。民進党の支持・支援を受け選挙戦を戦い[13][14]、与党・国民党候補の連勝文らをくだして当選[15]、12月25日に台北市長に就任した。選挙期間中は連勝文の父の連戦?柏村から、「柯文哲は出自が日本人である(日本統治時代に祖父が「青山」と名乗っていたので「青山文哲」である)」「漢奸」との中傷を受けたものの、むしろ有権者からは連の発言が「差別的」「時代遅れ」と批判を受けることとなり、連陣営は釈明や謝罪に追い込まれた[16]。柯自身、連や?の発言に対し「台湾人は異なる過去を持っている。しかし、今は一緒にいる。日本人であったことは祖父の過ちではない」と反論していた[16]

2014年の市長就任後は台湾独立を主張せず、後述のように対中友好路線をとり始めたことなどから、再選のかかった2018年の市長選では民進党は柯を支持せず、独自候補を擁立した。なお、かつて台湾独立を支持していたことについて議会で質疑を受けた際には「時代にはその時代の考え方がある。医師としての柯文哲と台北市長としての柯文哲の考えは違う」と回答している[11]
台北市長就任後「:zh:柯文哲市府」も参照
両岸関係

市長就任にあたっては今後の台湾と中国大陸の関係のあり方について相互認識、相互理解、相互尊重、相互協力を軸とする「4つの相互」の概念を提案しており[17]、就任後も2015年に訪中する際にも自らの提唱する「十五新観点」に基づいて一つの中国に反対せず[18]習近平共産党総書記が提起した「両岸一家親」(中台は一つの家族)を度々主張していることは中国政府から歓迎された[19][20]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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