枯山水
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枯山水(かれさんすい)とは、水を用いずに岩や砂などで山水を表現した日本庭園の様式の一つ。石庭。一般的に理解される枯山水 龍安寺 方丈庭園(石庭)
名称近代的な建物と枯山水 スターバックス宇治平等院表参道店

歴史的に枯山水に相当する用語も様々であった。

書き言葉としては、乾山水、唐山水、枯水形、から泉水、干川庭、古山水、仮山水などがあり、その読みも、カレセンスイ、コザンスイ、フルセンスイ、コセンズイ、フルセンズイなどが挙げられている[1][2][3]。今日の「枯山水(カレサンスイ)」が一般化したのは大正時代以降と考えられる[3]
定義

枯山水とは一般に「平坦な土地に水を用いず石や砂を主として構成された、山水風景を象徴的に表現した庭園」と理解されている。しかし、このような様式が確立されたのは室町時代中期と考えられ、長い歴史のなかではこれに当てはまらない庭園も枯山水と称されてきた[4][5]

枯山水が現れる最古の文献資料は11世紀ごろに成立したとされる『作庭記』である。それによれば枯山水は独立した庭園様式ではなく、池を中心とした池泉庭園などにおいて築山や野道に作られた石組部分を指していると考えられている[3][6]重森三玲 はこれを前期式枯山水と定義し、室町時代に成立した様式を後期式枯山水として区別しているが[6][5]、こうした厳密な区別は必要なく、作庭の手法や立地により変化したもので本質的には変わらないとする説もある[3]

また、枯山水は面積の広狭を選ばず、水を使わないため屋内や屋上にも作れ、近代的な建築にも馴染み日本らしい雰囲気がでるため、現代においても人気が高い様式である[7]
特徴書院から鑑賞する枯山水 圓徳院北庭.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}雪舟の作庭と水墨画萬福寺庭園秋冬山水図 冬

本節では、室町時代の枯山水の特徴を中心に述べる。その他の時代については歴史節を参照。

三玲は、伝統的に日本の庭園は自然的表現するものであり、池泉を海の景として見立てるなど象徴主義的な思想があったとしたうえで、これが極度に発達した姿が枯山水であるとする[8]。つまり、自然を実体として表現することなく、砂を海、石組を滝などと見立てて、そこに秘められた世界観を創造する幽玄思想があるとする[9]。そして庭園構成として重要な役割をもつのが空白の地面であり、空白が広いほど広大な空間を表現できるとしている[10]。こうした幽玄美と空白美により形成されるのが枯山水の特徴である[11]

このような特徴が成立した背景は、枯山水が主に京都の禅宗寺院で作庭されたことと関連付けられて説明される。平安時代まで伝統的に主殿の前には儀式を行うための前庭が設けられていたが、こうした前庭は時代が下ると形骸化して面積が狭くなってゆき、室町時代に至って観賞用の庭として意図されることとなった。こうした前庭は元々砂を敷き詰めていたが、そこに石組や庭木を配したものが枯山水と考えられる[12][5]。『作庭記』などにはこうした行為は禁忌と記されているが、中世仏教におこった万物に仏心があるとする自然観を背景として、本来は仏教儀礼をおこなう禅宗寺院の前庭での作庭が許容されていったと考えられる[8][4][11]

こうした背景から枯山水は方丈や書院などから座って鑑賞することを目的とした庭であり、面積は狭く平坦な土地で、時に土塀などに囲まれる庭園様式として成立した[6][2][13]。したがって同じ日本庭園であっても、徒歩や舟で移動しながら鑑賞する回遊式庭園、あるいは茶室への動線に山里を再現することを目的とした露地とはその性質が異なる[13][14][15][16]

また、同時代に広まった水墨山水画の影響も指摘されている。小野健吉は、水墨山水画にみえる「咫尺千里」や「残山剰水」[注釈 1]を三次元化したのが枯山水だとしている[17]。他には、盆景漢詩との関連も言及されることがある[18][19]
枯山水と禅の庭

枯山水は禅宗の影響を強く受けた庭園ではあるが、禅の精神性を表現したものでなければ禅の庭といえず、枯山水と禅の庭はイコールではないとされる[20]枡野俊明は、禅の庭とは目に見える庭を通して、そこに繋がる延々と続く宇宙を表現したものであり、それを掘り下げて仏法の道理と絶対の真理を見抜く「現成公案」であるとする[21]。さらに禅の枯山水の特徴を、世俗から離れ景勝のよい場所に隠遁することを理想としてその世界観を書院を中心に再現したもので、このような庭園思想は日本独自のものであるとする[22]。また初期の禅の枯山水では、座禅石を配することも少なくない[23]。初期の禅の枯山水として、天龍寺庭園・大仙院書院庭園・龍源院龍吟庭が挙げられる[22]
枯山水の要素箒目をつける庭師箒目の種類
砂と箒目

枯山水では砂敷は水面を表現することが多い。砂敷が広い場合は海や池であり、石や植栽により水流があるように見せる場合は枯流れという[24][25]。枯山水に用いられる砂は、白ないしそれに近い色調を用いる事が多い[26]。京都の枯山水では花崗岩が風化した砂で、白川から産出されるものを用いていたが、現在は採取が禁止されており、白い花崗岩を砕いて用いている。粒の大きさは一般に3分(約10mm)程度で、一般的には砂利と称されるほどの大きさであるが、古い庭師言葉では3cmほどの小石を撒くことも砂を撒くと表現する。また、慈照寺の向月台のような盛砂にはより細粒な砂を用いる[27]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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