枚聞神社
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枚聞神社

勅使殿と長庁
所在地鹿児島県指宿市開聞十町1366
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯31度12分27.5秒 東経130度32分22.6秒 / 北緯31.207639度 東経130.539611度 / 31.207639; 130.539611座標: 北緯31度12分27.5秒 東経130度32分22.6秒 / 北緯31.207639度 東経130.539611度 / 31.207639; 130.539611
主祭神大日?貴命
社格式内社(小)
薩摩国一宮
国幣小社
別表神社
創建伝神代
和銅元年(708年
本殿の様式入母屋造銅板葺
例祭10月15日 - 16日
主な神事ほぜ祭り(10月14日 - 16日
地図.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}枚聞神社
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二の鳥居から望んだ勅使殿

枚聞神社(ひらききじんじゃ)は、鹿児島県指宿市開聞十町にある神社式内社薩摩国一宮旧社格国幣小社で、現在は神社本庁別表神社
祭神
主祭神


大日?貴命(おおひるめのむちのみこと[1]

配祀神


五男三女神を配祀。

明治時代以後は近隣の神社を合祀している。祭神については海神(わたつみのかみ)説[1]の他、猿田彦神国常立尊、大宮姫など様々な説がある[2]
歴史

創建の年代は社伝によれば、遠く神代とされているが、神社の縁起には,和銅元年(708年)の創建と記されている。元々は開聞岳神体とする山岳信仰に根ざした神社であったと考えられ、当初は開聞岳の南麓に鎮座していたといわれているが、貞観年間の噴火により揖宿神社の所に一時避難、その後北麓の現在の場所に遷座されたという。

信頼できる史料での初出は『日本三代実録貞観2年(860年)3月20日庚午条の神階昇叙記事で、この日に薩摩国従五位上開聞神が従四位下を加えられた[3]。開聞神は、貞観8年(866年)4月7日に従四位上を授けられ[4]元慶6年(882年)10月9日に正四位下を授けられた[5]

延長5年(927年)の『延喜式神名帳』には「薩摩国穎娃郡 枚聞神社」として記載され、式内社に列している。

大正14年8月の「枚聞祭神調書」によれば、当神社は後鳥羽天皇文治の頃から後陽成天皇慶長4年までは、和田都美神社と称せられていたと伝えているので、当時の祭神は和田都美神であったと思われ、「神名帳頭注」(1503年)も和田都美神としている。「一宮記」にも「和田都美神社、枚聞神と号し」との記述があるが、祭神は塩土老翁猿田彦神としている。「三国名勝図会」と「神社撰集」は共に猿田彦神としており、明治維新の「廃寺方被仰渡」では国常立尊大日?貴猿田彦大神の三座を祭神としている。この他にも豊玉姫木花開耶媛、大宮姫など当神社の祭神については古来より諸説がある[2]

鎌倉時代以降は新田神社薩摩川内市)と薩摩国一宮の地位を巡って激しい争いを繰り広げるようになる。戦国時代島津氏の有力家臣であった頴娃氏の庇護下にあったが、元亀2年(1571年)に「証恩寺崩れ」と言われるお家騒動が起こり、その巻き添えとなって社殿を失った。しかし、すぐに島津氏の庇護を受けて再興、同氏は当神社の籤により作戦を決めたという。現在の社殿は慶長15年(1610年)に島津義弘が寄進したものを天明7年(1787年)に島津重豪が改築した物である。

外洋に面した立地から古くから「航海神」としても崇められ、江戸時代以降は琉球からの使節の崇敬も集めるようになった。

しかし江戸時代になると、宇佐八幡宮の五社別宮ともされていた新田神社の方が次第に重く扱われるようになったらしく、明治4年(1871年)5月に国幣小社に列したが、対して新田神社は同18年(1885年)に上位の国幣中社に列している。

第二次世界大戦後に近代社格制度が廃止されると、当社は神社本庁に参加、その別表神社に定められた。
清所と玉の井

当神社の本殿の裏に、木製の柵で囲まれた一角がある。この柵の中は、地面に大小様々な大きさの石が敷き詰められているが、ここは「清所」と呼ばれている場所で、言い伝えでは豊玉姫の御陵であるともいわれている。

当神社の近くには、豊玉姫彦火々出見尊が出会ったとされ、日本最古の井戸ともいわれる「玉の井」があり、古事記 上巻や日本書紀巻第二 神代下・第十段の本文、第十段の一書(第一)、一書(第二)、一書(第四)などに記されている井戸であるとされる。また彦火々出見尊豊玉姫の結婚後の新居があったとされる「婿入谷」という所もある。
神階

貞観2年(860年)3月20日、従五位上から従四位下 (『日本三代実録』)

貞観8年(866年)4月7日、従四位上 (『日本三代実録』)


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