林真理子
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林 真理子
(はやし まりこ)
誕生林 真理子
(1954-04-01)
1954年4月1日(69歳)
日本山梨県山梨市
職業小説家エッセイスト理事
言語日本語
国籍 日本
教育学士芸術
最終学歴日本大学藝術学部文芸学科
活動期間1982年 - (活動中)
ジャンル小説随筆
代表作『ルンルンを買っておうちに帰ろう』(1982年)
『最終便に間に合えば』(1985年)
不機嫌な果実』(1996年)
『みんなの秘密』(1997年)
『アスクレピオスの愛人』(2012年)
主な受賞歴直木三十五賞(1986年)
文藝春秋読者賞(1988年)
柴田錬三郎賞(1995年)
吉川英治文学賞(1998年)
島清恋愛文学賞(2013年)
歴史時代作家クラブ賞(2018年)
紫綬褒章(2018年)
菊池寛賞(2020年)
野間出版文化賞(2022年)
デビュー作『ルンルンを買っておうちに帰ろう』(1982年)
配偶者あり
子供長女
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林 真理子(はやし まりこ、1954年昭和29年〉4月1日[注 1] - )は、日本小説家エッセイストである。有限会社林真理子企画事務所代表取締役日本文藝家協会理事長、日本ペンクラブ会員、学校法人日本大学理事長[1]
人物

山梨県山梨市出身[2]山梨県立日川高等学校[2]日本大学藝術学部文芸学科卒業。

コピーライターとして活動の後、作家として[3]1982年昭和57年)に出版したエッセイ集『ルンルンを買っておうちに帰ろう』が、処女作にしてベストセラーとなった。さらに1986年(昭和61年)には、『最終便に間に合えば』『京都まで』で直木賞を受賞し、小説家としての地位を確立した。林の功績は、 1980年代以降において、「ねたみ・そねみ・しっとを解放」したことであるとも評される[4]

2022年現在、直木賞のほか、講談社エッセイ賞吉川英治文学賞中央公論文芸賞の各選考委員を務めている。
経歴

大学卒業後、アルバイトをしながら宣伝会議のコピーライター養成講座を受講。1979年(昭和54年)、秋山道男が編集していた西友ストアのPR雑誌『熱中なんでもブック』(のちに『青春評判ブック』)の編集スタッフとなる。1981年(昭和56年)、西友ストア向け広告コピー「つくりながら、つくろいながら、くつろいでいる。」でTCC(東京コピーライターズクラブ)新人賞を受賞。

1982年(昭和57年)、エッセイ集『ルンルンを買っておうちに帰ろう』を発表して、エッセイストとしてデビュー。同書はベストセラーになる。1986年(昭和61年)、前年に発表した『最終便に間に合えば』『京都まで』で第94回直木賞を受賞、作家として認められる。翌1987年(昭和62年)には、日米の交流を目的としたインターナショナル・ビジター・リーダーシップ・プログラムに参加した[注 2]

1993年平成5年)から、初めて文芸雑誌文學界』に連作を書いた(『文学少女』)。1995年(平成7年)、『白蓮れんれん』で第8回柴田錬三郎賞を受賞、1998年(平成10年)、『みんなの秘密』で第32回吉川英治文学賞を受賞、2013年(平成25年)、『アスクレピオスの愛人』で第20回島清恋愛文学賞を受賞。2011年にレジオンドヌール勲章シュヴァリエに叙された[5]

2018年紫綬褒章を受賞[6]

2020年5月、日本文藝家協会理事長に女性として初めて選出された[7]。同年9月文部科学省文化審議会委員(文化功労者選考分科会分属)[8][9]。同年10月13日、第68回菊池寛賞を受賞した[10]。同年10月14日には、『週刊文春』で連載のエッセイ(「今宵ひとりよがり」「今夜も思い出し笑い」「マリコの絵日記」「夜ふけのなわとび」)の通算連載回数が1655回(同年7月2日時点)に達し、「同一雑誌におけるエッセイの最多掲載回数」としてギネス世界記録に認定された[11]

2022年7月1日、日本大学理事長に女性として初めて就任[12]。同年11月、第4回野間出版文化賞を受賞[13]

2023年に発覚した日大アメリカンフットボール部の違法薬物事件においては、日大が設置した第三者委員会から、林や酒井健夫学長ら幹部が、不都合な事実を 矮小化し、自分に都合よく解釈して対応にあたった結果、大学の信用を大きく傷つけたと指摘された。一方、林が大麻使用に関する報告を受けたのは、沢田康広副学長が大麻と疑われる植物片を発見したのが7月6日なのに対し13日になってからで、ガバナンスの前提となる報告ルールが不備だったとした。林が調査の指示を出さず、理事会に報告しなかったことは著しく不適切な対応としながらも、「巨大な組織であることに鑑みれば、理事長個人の責任というより、組織対応の問題」とされた[14]。11月22日、日大の臨時理事会が開かれ、林に対して報酬の50%減、沢田副学長に即時辞任、酒井学長には年度末での辞任をそれぞれ勧告した。林は受け入れる意向を示したという[15]

同月27日、辞任を強要するなどのパワハラを行ったとして沢田副学長から1千万円の損害賠償を求め、提訴された[16]
私生活

1990年(平成2年)、36歳でサラリーマンと見合いをして結婚。親族向けの披露宴はトゥール・ダルジャンを借り切って、親族以外の人を招いた披露パーティーは赤坂プリンス旧館で会費制で行った[17]。その後、1999年(平成11年)2月に44歳で長女を出産[18]

親友である中野翠は、林がはじめに勤めていた企業PR誌 『熱中なんでもブック』編集部の同僚である[19]。また、映画監督井上梅次が所有していた長野県軽井沢町別荘を、梅次の娘であり林の友人である井上絵美から譲り受け、2015年頃から所有している[20]
エピソード

江原啓之1994年(平成6年)に雑誌『an・an』で対談して以来絶賛しており、江原の著書『幸運を引き寄せるスピリチュアルブック』(2001年)のに推薦文を書いた。

林のコピーライター時代にクライアントとして接した堤清二は、彼女の書くキャッチコピーが凡庸でダメ出しをしたことがあるが、ボディコピー(商品の説明文)には非常に光るものがあると感じたので、小説を書くように勧めたことがあるとインタビューで述べている[21]

若い頃はアイドル作家と持て囃されていたが容姿に見合わない扱いを赤塚不二夫にネタにされてしまったことがある[22]。赤塚のアシスタントだった長谷邦夫は、林がその内容に激怒し出版社を恫喝して連載を打ち切りに追い込んだと述懐していたが、赤塚作品を研究する名和広によると、長谷の事実誤認[23]としている。また、作品自体は暫くして連載打ち切りとなっている[24]

大学生時代、仲の良かった当時早稲田大学の学生の人から、ニッポン放送アナウンサー募集の話を聞いて「声がいいから」と勧められたが、試験当日風邪をひいたために断念したということがあった[25]

1996年12月2日、藤岡信勝西尾幹二らが中心となって「新しい歴史教科書をつくる会」の結成記者会見が開かれる。西尾は「この度、検定を通過した7社の中学教科書は、証拠不十分のまま従軍慰安婦の強制連行説をいっせいに採用した」との声明を発表。声明文には藤岡、西尾、小林よしのり坂本多加雄高橋史朗深田祐介山本夏彦阿川佐和子、林の計9人が呼びかけ人として名を連ねた[26][27][28]

横山秀夫の『半落ち』を巡る直木賞選考過程において、作品だけでなくその読者についてまで強い誹謗中傷を展開した。しかし、その作品講評の際に林が指摘した「物語の欠点」はこの作品の場合には必ずしも当てはまらないことが後に判明した。なお、この欠点に最初に気付いたのは北方謙三だったとされているが、北方自身はこれを大きな問題として指摘してはいない[29][30]

自販機本Jam』『HEAVEN』初代編集長の高杉弾とは大学時代の同級生で面識がある[31]

2019年、「元号に関する懇談会」有識者委員となり、新元号「令和」制定に関わった[32]

著作
単著
1980年代

『ルンルンを買っておうちに帰ろう』(
主婦の友社 1982年 のち角川文庫

『夢見るころを過ぎても』(主婦の友社 1983年 のち角川文庫)

『幸せになろうね-働くおんなの意地とマコト けなげに上手にワーキング!』(光文社カッパ・ビジネス 1983年 のち光文社文庫

『花より結婚きびダンゴ』(CBS・ソニー出版 1983年 のち角川文庫)

『ルンルン症候群』(角川書店 1983年 のち文庫)

『星に願いを』(講談社 1984年 のち文庫)

『街角に投げキッス』(角川書店 1984年 のち文庫)

『林真理子スペシャル―ルンルンだけじゃ、ものたりなくて』(角川書店 1984年)

『真理子の夢は夜ひらく』(角川書店 1984年 のち文庫)

『ブルーレディに赤い薔薇』(小説)光文社カッパ・ブックス 1984年 のち文庫)

葡萄が目にしみる』(小説)角川書店 1984年 のち文庫)

『ふたりよがり―対談集』(文藝春秋 1984年)

『テレビしちゃった!』(CBS・ソニー出版 1984年)

『星影のステラ』(小説)角川書店 1985年 のち文庫)

『今夜も思い出し笑い』(文藝春秋 1985年 のち文庫)

『テネシーワルツ』(講談社 1985年 のち文庫)

『林真理子二枚目コレクション』(小学館 1985年)

『紫色の場所』(角川書店 1985年 のち文庫)

『最終便に間に合えば』(短編集 文藝春秋 1985年(直木賞)のち文庫)

『食べるたびに、哀しくって…』(角川書店 1985年 のち文庫)

『マリコ・その愛』(光文社文庫―イキナリ文庫 1986年)

『身も心も』(角川書店 1986年 のち文庫)

『真理子の青春日記&レター』(角川文庫 1986年)

『愛すればこそ…』(文藝春秋 1986年 のち文庫)

『マリコ自身―イキナリ文庫』(光文社文庫 1986年)

『胡桃の家』(小説)新潮社 1986年 のち文庫)

『南青山物語―ルンルンパラダイス』(主婦の友社 1986年 のち角川文庫)

『美食倶楽部』(文藝春秋 1986年 のち文庫)

『ファニーフェイスの死』(小説)集英社 1987年 のち集英社文庫、中公文庫

『言わなきゃいいのに…』(文藝春秋 1987年 のち文庫)

『失恋カレンダー』(角川文庫 1987年)のち集英社文庫

『戦争特派員(ウォーコレスポンデント)』(小説)文藝春秋 1987年 のち文庫)

『茉莉花茶を飲む間に』(小学館 1987年 のち角川文庫)

『こんなパリ、見たことある?』(文化出版局 1988年)

『マリコ・ストリート』(マガジンハウス 1988年 のち角川文庫)

『どこかへ行きたい』(角川文庫 1988年)

『東京胸キュン物語』(角川文庫 1988年)

『こんなはずでは…』(文藝春秋 1988年 のち文庫)

『満ちたりぬ月』(主婦の友社 1988年 のち文春文庫)

『キス・キス・キス』(角川書店 1988年)

『短篇集―少々官能的に』(文藝春秋 1988年 のち文庫)


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