日本の政治家林田 彪はやしだ たけし
生年月日 (1944-04-04) 1944年4月4日(77歳)
出生地 日本 熊本県玉名郡長洲町
出身校東京農工大学農学部
前職国家公務員(建設省)
所属政党自由民主党(額賀派)
称号農学士
公式サイト ⇒公式サイト
衆議院議員
選挙区(熊本2区→)
比例九州ブロック
当選回数5回
在任期間1999年 - 2009年
2012年 - 2014年
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林田 彪(はやしだ たけし、1944年4月4日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(5期)。目次 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。
1 経歴
2 政策
3 不祥事
4 所属団体・議員連盟
5 脚注
6 関連項目
7 外部リンク
経歴
出典検索?: "林田彪"
熊本県玉名郡長洲町生まれ。長洲町立長洲中学校、熊本県立玉名高等学校を経て、東京農工大学農学部林学科卒業。1967年に建設省入省。1995年10月16日、建設大学校副校長を最後に依願退官[要出典]。
1996年の第41回衆議院議員総選挙に熊本2区から初出馬したが、新進党の現職野田毅に敗北し落選。1999年7月、東家嘉幸が体調不良が原因で任期途中で辞職し、比例九州ブロックの次点であった渡瀬憲明が1998年に死去し、林田は繰り上げ当選(一種の比例復活)。
2000年の第42回衆議院議員総選挙では、小沢自由党を経て与党(保守党)入りした野田と選挙協力し、比例単独で立候補し当選(第42回以降野田と林田はコスタリカ方式で出馬するようになる[要出典])。2001年、第1次小泉内閣財務大臣政務官。
2003年、第42回衆議院議員総選挙で熊本2区に出馬し、小選挙区初当選。2004年、第2次小泉改造内閣で内閣府副大臣(行政改革、構造改革特区、地域再生、産業再生機構、規制改革、男女共同参画、少子化対策、栄典及び国際平和協力業務等担当)。2004年、政治家の年金未納問題が問題となった際に8か月分の未納が判明した[1]。
2005年9月、第44回衆議院議員総選挙で比例九州ブロック当選、第3次小泉内閣で内閣府副大臣に再任。同年11月、自由民主党副幹事長。2008年9月24日、衆議院災害対策特別委員長[要出典]。
2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙では熊本2区に自由民主党から出馬。公明党の推薦も受けた[2]が民主党新人の福嶋健一郎に敗れ、落選(重複立候補をしていなかったため、比例復活はできなかった[3]。)。
2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙では、比例九州ブロック単独で、選挙区との重複候補だった33名、および西川京子元厚生労働副大臣に次ぐ名簿順位35位に列せられたが、選挙区立候補者33名中31名が当選したため当選、国政に復帰した。2014年12月14日の第47回衆議院議員総選挙では、比例九州ブロックに名簿順位33位で立候補したが、落選。
政策
選択的夫婦別姓制度の導入に反対[4]。
不祥事
日本共産党の機関紙しんぶん赤旗に、2009年8月30日に行われた第45回衆議院議員総選挙で11人に弁当や酒など数万円相当の接待を行ったと報じられた[5]。
2004年、政治家の年金未納問題が問題となった際に8か月分の未納が判明した[6]。
所属団体・議員連盟
自民党たばこ特別委員会(委員長)[7]
日本会議国会議員懇談会
TPP交渉における国益を守り抜く会
脚注^ ⇒“園田氏、林田氏も未納判明/両氏とも勘違いと弁明”. 四国新聞. (2004年5月4日). ⇒http://www.shikoku-np.co.jp/national/political/20040504000147 2016年6月25日閲覧。
^ 比例貢献が基準?公明が自民92候補を推薦(2009年7月30日20時25分 読売新聞)
^ asahi.com:九州ブロック - 比例区開票結果 - 2009総選挙
^ 第154回国会請願3545号