林 瑞昌
林瑞昌
プロフィール
出生:1899年8月16日
死去: (1954-04-17) 1954年4月17日(54歳没)
出身地: 日本 台湾台北県
林 瑞昌(りん ずいしょう)は、日本統治時代の台湾の医師、政治家。タイヤル族出身であり、民族名はロシン・ワタン(Losing Watan=楽信・瓦旦)。
台湾原住民の医療福祉と社会的地位の向上に尽力し、第二次世界大戦後は台湾省議員にまでなったが、国民政府の白色テロの犠牲となった。 1908年、林瑞昌は角板山
生涯
日本の敗戦後、故郷に戻る。1949年11月には第1回台湾省参議員に補欠当選、1951年11月には第1回台湾省議員に当選している。林瑞昌は台湾省議会で原住民の権益確保に努め、原住民の民意代表者の選定、山地行政管理局の設置と山地行政の一元化、原住民の人才育成、山地農村生活の復興などを主張した。
1952年11月、「高山族匪諜事件」により、同じく原住民指導者の高一生(矢多一生・ツォウ族)、湯守仁(湯川一丸・ツォウ族)などと共に国民政府に逮捕され、1954年4月17日に死刑が執行された。
外部リンク
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