この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。
出典検索?: "林海象"
はやし かいぞう
林 海象
生年月日 (1957-07-15) 1957年7月15日(66歳)
出生地 日本・京都府京都市
職業映画監督
映画プロデューサー
脚本家
ジャンル映画
活動内容1986年 -
事務所映像探偵社
公式サイト林海象ブログ
主な作品
『夢見るように眠りたい』
『私立探偵 濱マイク』シリーズ
受賞
ヨコハマ映画祭
新人監督賞
1987年『夢見るように眠りたい』
審査員特別賞
1997年毎日映画コンクール
スポニチグランプリ新人賞
1987年『夢見るように眠りたい』
備考
東北芸術工科大学芸術学部映画学科教授
テンプレートを表示
林 海象(はやし かいぞう、1957年7月15日 - )は、日本の映画監督・映画プロデューサー・脚本家。男性。株式会社映像探偵社代表取締役社長、京都造形芸術大学芸術学部映画学科教授[1]。
1986年にモノクロサイレント映画という異色の作品『夢見るように眠りたい』でデビューした。代表作は永瀬正敏主演の『私立探偵 濱マイク』シリーズなど。 京都府京都市生まれ[2]。立命館中学校・高等学校を経て1977年立命館大学経済学部を中退。[3]。 19歳で上京。27歳までの間、20数種のアルバイトをし、10数回の引っ越しをした。毎日500円以上使わないと決め、社会の底辺をその日暮らしの生活で徘徊していた[4]。 制作会社「映像探偵社」を起こし、1986年にモノクロ・字幕映画として撮った『夢みるように眠りたい』で監督デビュー。それまで映画制作現場での経験が全くなかったものの、デビュー作は高評価を得た。 1999年、文化庁新進芸術家在外研修員としてアメリカに留学。 監督作の多くに探偵が登場するのが特徴。 代表作『アジアンビート』シリーズでは永瀬正敏を主演に起用し、のちの『私立探偵 濱マイク』シリーズの原型になった。 京都造形芸術大学芸術学部映画学科の教授に就任し、学生の指導に当たっている。2007年度より2011年度までは学科長を務めた[3][5][6]。指導した学生には第64回ベルリン国際映画祭最優秀女優賞(銀熊賞)を受賞した黒木華や監督の酒井麻衣などがいる[7]。 「私の父と母は韓国からこの日本に渡ってきた。その時の父と母の気持ちはどういうものだったのだろう? と私は思う。そういう気持を一度は物語で書いてみたいというのが、この脚本を書くにあたっての出発点だった」と、2010年放送のNHKドラマ『大阪ラブ&ソウル?この国で生きること』について出自を初めて明かした[8]。
来歴
出自