林海峰
[Wikipedia|▼Menu]

 林海峰  名誉天元
名前林海峰
生年月日 (1942-05-06)
1942年5月6日(82歳)
プロ入り年1955年
出身地中国上海市
所属日本棋院東京本院
師匠藤田梧郎呉清源
名誉称号名誉天元
概要
タイトル獲得合計35
七大タイトル
棋聖挑戦者 (1980・82・84)
名人8期 (1965-67・69・71-73・77)
本因坊5期 (1968-70・83-84)
王座1期 (1973)
天元5期 (1989-93)
碁聖1期 (1994)
十段1期 (1975)
テンプレートを表示

林 海峰(りん かいほう、リン ハイフォン 、1942年5月6日 - )は、中華民国台湾)の囲碁棋士名誉天元上海出身、日本棋院東京本院所属、藤田梧郎七段、呉清源九段門下。中華職業圍棋協会理事。海峯棋院設立者。元・全日本学生囲碁連盟副会長、特別顧問。

名人8期、本因坊5期、世界囲碁選手権富士通杯優勝など獲得タイトルは35。史上2人目の1400勝達成

名人戦挑戦手合に10年連続出場。名人戦リーグに最長記録となる35期連続在籍。

若い頃には地に辛く粘りのある棋風で「二枚腰」と呼ばれたが、壮年以後は戦闘的な棋風となった。同世代のライバルである大竹英雄とともに「竹林」とも称される。林海峯の表記も多く使われている。

2017年秋・旭日中綬章受賞[1][2]

現在、存命の名誉称号資格者・三大タイトル獲得経験者碁聖位獲得者・十段位獲得者では大竹英雄名誉碁聖と並び最年長である[3]

林海峰(峯)
プロフィール
出生:1942年5月6日
出身地: 中華民国上海
職業:囲碁棋士
各種表記
繁体字:林海峰
簡体字:林海峰
?音:Lin H?if?ng
和名表記:りん かいほう
発音転記:リン ハイフォン
テンプレートを表示

経歴
生い立ち呉清源(右)と。

東京帝国大学に留学経験のある中華民国の外交官林國珪の9人兄弟の末っ子として、1942年に上海に生まれた。国民政府の官吏の家だった林家は、1946年に国共内戦?介石の率いる中国国民党政権が敗れたときに台湾に移った。彼の父は無類の碁好きで、兄、姉と、全員が碁を打つ家族だった。家には毎日のように碁を打ちに来るお客さんがいて、林は父が友人達と碁を打つのを見て自然に囲碁を覚えた。プロ棋士としては遅めの8歳前だったが、めきめきと上達し台湾の少年囲碁大会で優勝して、天才少年として注目された。

1952年10歳の時に、台湾を訪れていた呉清源に六子で指導碁を打ってもらう機会に恵まれ、結果は一目負けとなったが、呉に才能を認められ来日した。
棋歴

来日して京都の父親の知人宅に住み、藤田梧郎門下となる。半年で東京に移り、1953年東京本院院生。一年後に再度、京都に戻り、1954年関西総本部院生となり藤田梧郎門で学ぶ。1955年12歳で入段(関西総本部の入段リーグ戦で二位となる。その当時の関西総本部は、毎年一位のみ入段だったが、特別に三位まで入段が認められた)。

1961年3月?4月、林六段と大竹英雄四段とで、朝日新聞により「新鋭三番碁」が企画され、大竹先番で大竹の二勝・一ジゴとなった。このころから「竹林コンビ」と呼ばれるようになる。工藤紀夫を含めた3名で「三羽烏」ともよばれたこともある[4]

六段時の同1961年に東京本院に移る。1962年に木谷一門百段突破記念大会で趙治勲(当時6歳、のちに最多タイトルを獲得し、林の最多勝利を更新することとなる)に五子のハンデを与え敗れる。

1963年に初の名人リーグ入り。同年囲碁選手権戦準優勝と高松宮賞獲得。1965年坂田栄男名人本因坊を4-2で破り、23歳の史上最年少(当時)で名人位を獲得。名人戦では高川格、藤沢秀行、石田芳夫らと死闘を繰り広げた。1967年九段。1968年には坂田栄男本因坊を破り、選手権史上2人目の名人本因坊になるなど、早くから才能を発揮して活躍した。

1973年には石田芳夫挑戦者との名人戦で、七番勝負初の3連敗後の4連勝を記録。1983年の本因坊戦でも趙治勲本因坊を相手に再度の3連敗4連勝で12年振りの本因坊復位を果たし、驚異の粘り腰を発揮した。

1977年には大竹英雄を破り名人に復位。富士通杯では1988年、89年に連続準優勝の後、90年に決勝で聶衛平を破り優勝。1989年より5期連続して天元位を獲得して、名誉天元を名乗る。1994年碁聖位獲得。棋聖位への挑戦は3回。2001年の名人戦で59歳で挑戦者となり、坂田栄男と並ぶ最年長記録となった。

2015年8月6日、通算1400勝達成(889敗1持碁2無勝負)。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:95 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef