林洋子_(女優)
はやし ようこ
林洋子 (女優)
本名橋本洋子(はしもと ようこ)
生年月日 (1930-11-03) 1930年11月3日(89歳)
出生地日本・東京都大田区
身長153cm
血液型O型
職業女優・演出家
著名な家族林光(元夫)
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林 洋子(はやし ようこ、1930年11月 - )は、日本の女優。宮沢賢治作品のひとり語り芸の公演を、国内外で1600回近く重ねている[1]。
目次
1 来歴
2 出演(舞台)
3 演出及び出演
4 主な吹き替え
5 著書
6 CD・DVD
7 脚注
8 外部リンク
来歴東京都大田区蒲田生まれ。都立第六高等女学校(現都立三田高校)卒業後、1949年に俳優座付属俳優養成所の第1期生となり、1952年に卒業(同期生に岩崎加根子、野村昭子らがいる)。俳優座仲間からは、現在でも「洋介」の愛称で親しまれている。野村昭子とは大の仲良しでその友情は現在も続いている。また、反原発の科学者高木仁三郎は同志であり親友。元夫は作曲家の林光。
俳優座養成所第一期卒業後、劇団三期会
で数々のブレヒト劇に主演し、後にフリーとなる。1970年、水俣病の実態に触れる。71年、石牟礼道子原作「苦海浄土
」巡礼公演。以後自発的に芝居が出来なくなり俳優として沈黙する。1973年に訪印し、コルカタの民家に滞在。帰国後にベンガル語を学ぶ。1978年?79年にインド再訪。ベンガルの農村を独りで歩き宗教的大道芸バウルに出会い、表現の原点を発見する。1980年、クラムボンの会を設立し宮沢賢治作品の一人語り出前公演を開始。生の音楽と共に語り演じる独特の語りは、日本全国、また海外で熱い喝采を受けている。公演回数は1600回に迫り総観客数は32万人に達しようとしている。2017年2月1日に創立37周年を迎えた。まさに賢治の生涯と同じ37年の年月を林洋子は賢治作品をひとり語りで演じ続けてきた。国際交流基金派遣によるインド、インドネシア、マレーシア、フランスなど海外公演多数。シタールを堀之内幸二に師事。琵琶を薩摩琵琶鶴田派の田中之雄に師事。1994年、「幼児も涙してその世界に没入するほどの感動を人々に与えた。」と宮沢賢治学会及び花巻市より第4回イーハトーブ賞を受賞。2015年より林洋子賢治語り芸の後継者として二代目巌谷陽次郎が参加、二人三脚で、精力的に賢治の世界の語り出前公演に活躍している。
出演(舞台)
ガリレオ・ガリレイの生涯(1959年 ブレヒト作、千田是也演出) - サルティのおかみさん役。新劇合同公演
母(1960年ブレヒト作、千田是也演出) - ペラーゲア・ウラーソワ(母)役。劇団三期会
アガメムノーン(1961年 アイスキュロス作) - クリュタイメーストラ役。東京大学ギリシア悲劇研究会
パリコミューン(1962年 ブレヒト作、熊井宏二演出) - マダム・キャベイ役。劇団三期会
トロイアの女(1962年 ユウリピデス作) - へカベー役。東大ギリシャ悲劇研究会。
戯劇春秋 (1963年 千田是也演出) - 緋緋役。新劇若手合同公演。
男は男だ(1964年 ブレヒト作、熊井宏二演出) - べグビッグのおかみさん役。劇団三期会。
ペルシァの人々(1964年 アイスキュロス作) - アトッサ役。東大ギリシア悲劇研究会。
苦海浄土(1971年 石牟礼道子原作、砂田明演出) - 語り部・草の親役。
無声慟哭(2002年・高田三郎作曲)宮沢賢治の詩による ソプラノ、バリトン、ナレーター、
合唱と管弦楽のための。ナレーター役。現代日本のオーケストラ音楽・第26回演奏会。
演出及び出演
アイリッシュ・ハープと語り 「よだかの星」「やまなし」 1980年初演
シタール弾き語り「雁の童子」 1985年初演
笛やお囃子と語り「雪わたり」「いちょうの実」 1990年初演
薩摩琵琶弾き語り「なめとこ山の熊」 1995年初演
薩摩琵琶弾き語り「賢治文語詩朗唱」 2000年初演
鐘とVoiceと語り「四又の百合」 2014年初演
弦楽四重奏と朗読 タゴール作「ギタンジャリ」 2000年初演
主な吹き替え
アイラブ・ルーシー エセル 役
ルーシー・ショー ビビアン 役
スヌーピーとチャーリーブラウン ペパミントパティ 役
刑事コロンボ 構想の死角 リリー・ラ・サンカ 役
著書
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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