林文子
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

小説家の「林芙美子」とは別人です。

日本政治家林 文子はやし ふみこ
2011年5月、横浜市役所にて
生年月日 (1946-05-05) 1946年5月5日(78歳)
出生地 日本 東京都
出身校東京都立青山高等学校
前職ビー・エム・ダブリュー東京代表取締役社長
ファーレン東京代表取締役社長
ダイエー代表取締役会長兼CEO
東京日産自動車販売代表取締役社長
所属政党無所属
称号旭日中綬章
第30・31・32代 横浜市長
当選回数3回
在任期間2009年8月30日[1] - 2021年8月29日
テンプレートを表示

林 文子(はやし ふみこ、1946年昭和21年〉5月5日[2] - )は、日本実業家政治家神奈川県横浜市長(3期)、BMW東京社長、ダイエー会長兼CEO、東京日産自動車販売社長などを歴任。
概説

東京都生まれ。父親は築地市場の仲買人。母親の生家は千葉県東葛飾郡浦安町(現:浦安市)で漁業を営んでいた。その縁で知り合った父母は駆け落ちして結婚し、世田谷区にある父親の実家で暮らし始める。父親は林が小学校5年生のときに、林の伯母らとの軋轢から家を出てしまう。母親と林は、世田谷区深沢にある6畳1間のアパートに引っ越し、母親は電機工場で働くことで林を養った[3]

1965年3月、東京都立青山高等学校卒業。同年、東洋レーヨン(現・東レ)、松下電器産業(現・パナソニック)等に勤務。

1999年、ファーレン東京(現・フォルクスワーゲンジャパン販売)社長に就任。2003年、BMW東京社長に就任。2005年、ダイエーの社長兼最高経営責任者(CEO)に就任。

2009年7月28日、横浜市長の中田宏が辞任を表明[4]。8月10日、中田の辞職に伴う横浜市長選挙民主党推薦で立候補することを正式に表明[5]。8月30日、衆院選と同日に実施された市長選で初当選。

2013年、再選。2017年の市長選では、一転して自民党と公明党の推薦を受け、統合型リゾート(IR)誘致は「白紙にする」と公約し、元衆議院議員の長島一由らを破り3選。

2019年8月22日、政府の後押しを受けた林は立場を一転。IR誘致を推進すると発表[6]
2021年横浜市長選挙2021年8月の横浜市長選挙統合型リゾート(IR)推進を掲げ立候補した。中区伊勢佐木町での街頭演説。

2021年1月10日、帯状疱疹により入院。18日に退院するも19日に別の病院へ再入院。症状は重く、「帯状疱疹に伴う左顔面麻痺」との診断を受けた[7]。2月10日に公務復帰を果たしたが[8]、自民党横浜市連の間で「政治家が体を壊したら戦えない」と3期勇退論が急速に広まった[9][10]

同年5月下旬、国家公安委員会委員長(当時)の小此木八郎菅義偉首相(当時)と面会し、8月の横浜市長選挙に立候補する意向を伝えた[11]。6月5日、市連幹部は会合を開き、林を支援しない方向でいくことを確認した[10]。その後、市議らに意見聴取して「総意」を演出し、3人の幹部が市長室で勇退を迫った。しかし、高齢であることなどを持ち出したことが林の気持ちを逆なでしてしまう。林は「市民が待っている」と言い返し、亀裂は決定的になった[9]

同年6月22日、小此木が閣議後の記者会見で出馬表明。同日の報道で、小此木がIR誘致に反対であることが明らかにされた[12]横浜商工会議所会頭の上野孝はこの動きを牽制するため、6月24日の定例記者会見で、IR誘致を実現する人が市長として望ましいとの見解を示した[13]

林は「小此木さんが反対だというとIR賛成の候補がいなくなるから」という理由により4選出馬を決意[14]。菅に電話を入れ「IRは横浜の将来に必要です。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:130 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef