四代目 .mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}林家(はやしや) 染丸(そめまる)
本名木村(きむら) 行志(こうし)
生年月日 (1949-10-10) 1949年10月10日(74歳)
出身地 日本・大阪市西成区
師匠三代目林家染丸
桂右之助
弟子五代目林家小染
三代目林家染二
林家うさぎ
林家そめすけ
林家花丸
林家染雀
三代目林家菊丸
林家竹丸
林家染左
林家笑丸
林家卯三郎
林家染太
林家染吉
四代目 林家 染丸(はやしや そめまる、1949年10月10日 - )は、大阪市西成区天下茶屋出身の落語家。本名?木村 行志。出囃子は『正札付』[1]。吉本興業所属[2]。上方落語協会相談役。 1966年(昭和41年)、大阪府立今宮高等学校を中退し、同年8月27日付で三代目林家染丸に入門[1]、二代目林家染二。京都花月で初舞台。このころから音曲に興味を示し、師匠の紹介で古老の桂右之助に師事、その後の大きな財産となる。1968年に師匠が他界。このとき、染二は兄弟子の四代目林家小染の命で臨終に立ち会い(小染は仕事のため叶わなかった)、葬儀の夜に小染と「桂にも笑福亭にもなりとうない。二人でまた林家の名前を大きゅうしていこう。泣いてる場合やない」と涙した[3]。 1972年ごろ一時芸界を離れていたが、1974年ごろ復帰。その後、吉本興業に所属。笑福亭仁鶴の大喜利番組に三味線を弾けるということで出演したのをきっかけに「そめじのおっしょはん」と人気を得る。1983年から1985年にかけ、「ワープロを購入したので何か出したい」という理由から、「下座囃子」の研究書5冊と譜面集、カセットテープ3種を自費でリリースする(収支は赤字だった)[4]。囃子の研究としては戦後初のものであった[4]。
来歴・人物