五代目 .mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}林家(はやしや) 小染(こそめ)
本名上村(かみむら) 政二(せいじ)
生年月日1963年2月21日
没年月日 (2024-03-09) 2024年3月9日(61歳没)
出生地 日本・大阪府大阪市城東区
死没地 日本・大阪府大阪市
師匠四代目林家小染
四代目林家染丸
名跡1. 林家染八
(1982年 - 1996年)
2. 五代目林家小染
(1996年 - 2024年)
出囃子たぬき
活動期間1982年 - 2024年
家族林家染八(息子)
所属吉本興業
上方落語協会
公式サイト林家小染
五代目 林家 小染(はやしや こそめ、1963年2月21日 - 2024年3月9日)は、大阪府大阪市城東区出身の落語家。本名?上村 政二。寄席囃子三味線奏者の入谷和女は元妻。林家染八は和女との実子に当たる。出囃子は『たぬき』。吉本興業所属。上方落語協会会員。 子どものころからお笑いに興味をお持ち大阪府立茨田高等学校では落語研究部に所属。 高校2年の時に四代目林家小染に弟子入り志願したが断られ、高校卒業後再び志願したが「一度社会人を経験しなさい」と言われ仕事をしながら楽屋出入りを許される。1982年4月に正式に入門が許され、林家染八として活動。 1984年1月に師匠小染が亡くなったため、師匠の弟弟子にあたる林家染二の預かり弟子となる。1996年に五代目林家小染を襲名。 2024年3月9日、持病の悪化により大阪市の病院で死去[1]。61歳没。13・14日にあみだ池和光殿で通夜・葬儀が執り行われた。霊柩車は天満天神繁昌亭に回り、だんじり囃子に見送られた[2]。 先代小染譲りのもっちゃりした純大阪弁が特徴。ただし彼の大阪弁は、彼が『おばあちゃん子』だったので、古い大阪弁を子供の頃から毎日聞かされ、話しているうちに身に沁み込んだものだという。 落語作家の小佐田定雄に「あなたの大阪弁は、今時の人の話す大阪弁とは違う一時代前のものそのものだが、それは三代目譲りか?」と尋ねられ、「いや、わたいは大師匠に会うたことはおませんが…」と答えたという。 七代目柳亭燕路、柳家禽太夫と共に池袋演芸場の落語協会特選会で三人会を開いていた。 2024年4月21日に天満天神繁昌亭で予定されていた主催落語会「上方江戸噺の会(第16回)」は息子の林家染八により「上方江戸噺の会?林家小染を偲ぶ会?」に変更、オープニングで追悼座談会を行った。出演は柳亭燕路(7代目)、柳家禽太夫、桂文華、林家染八、桂健枝郎
来歴
芸風
活動