林大
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同音異字の日本語学者「林巨樹」とは別人です。

林 大 (はやし おおき、1913年5月8日 - 2004年3月30日) は、日本国語学者国立国語研究所所長、国語学会代表理事などを務めた。1950年代から1980年代までの日本の国語施策に関与した。
人物・来歴

林大は、林古渓の長男として、東京市に生まれた。1934年浦和高等学校を卒業し、東京帝国大学に入った。文学部国文学科橋本進吉に師事し、1937年に卒業した。

1946年文部省教科書局嘱託となり、以降、当用漢字音訓表、当用漢字表別表、当用漢字字体表および現代かなづかいの成立にたずさわった。1949年からは、国立国語研究所と文部省調査普及局国語課に兼務した。1960年には国立国語研究所第一研究部部長、1966年には同第四研究部部長に任ぜられた。1964年には『分類語彙表』を出版した。

1967年からは文部省初等中等教育局視学官、1972年からは同主任視学官として、学年別漢字配当表および学習指導要領国語科編の改訂にたずさわった。その後、国立国語研究所に戻り、1974年からは日本語教育部部長、1976年から1982年までは国立国語研究所第3代所長を務めた。

林はそのころ、「JIS C 6226-1978 情報交換用漢字符号系」の原案の作成においても役割を果たした。1970年から1973年まで情報処理学会漢字コード研究委員会主査を務め、漢字の文字コードの標準化のための研究を進めた。1972年から1982年までは、日本工業標準調査会 (JISC) の臨時委員を務めた。1974年から1976年までは日本情報処理開発センターの漢字符号標準化調査研究委員会の委員であった。

1975年に第12期国語審議会の委員に任ぜられた。これ以降1993年まで、各期の国語審議会の委員または臨時委員を務め、当用漢字表、当用漢字字体表などを置き換えた常用漢字表、「現代かなづかい」を改訂した現代仮名遣いなどに主査として関与した。1978年から1982年までは、法務省民事行政審議会の委員であった。

1976年から1979年までは国語学会の代表理事を務めた。1983年には勲二等瑞宝章を受けた。1985年から1995年までは日本語教育学会の会長であった。2004年3月30日に肺炎のため死去し、同日、正四位に叙せられた。
著書

『戦地より父母へ』
人文書院 1939

共編著

『現代作文講座』全8巻
林四郎,森岡健二共編 明治書院 1976-77 

『法と日本語』碧海純一共編 1981.12 有斐閣新書

『法律類語難語辞典』山田卓生共編 有斐閣 1984.3

関連項目

JIS X 0208

現代仮名遣い

参考文献

甲斐睦朗「追悼 林大先生」『国語学』(第55巻第4号3-6ページ、2004年)

山崎誠「林大先生年譜および著述目録」『国語学』(第55巻第4号11-19ページ、2004年)

「〈座談会〉戦後国語施策の出発 ―昭和二十年代を振り返る―」『国語施策百年の歩み』(8-34ページ、2003年3月)

先代
岩淵悦太郎国立国語研究所所長
第3代:1976年 - 1982年次代
野元菊雄

先代
小川芳男日本語教育学会会長
1985年 - 1995年次代
野元菊雄

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