.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この項目には、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字(Microsoftコードページ932(はしご高))が含まれています(詳細)。
はやしばら めぐみ
林原 めぐみ
プロフィール
本名林原 めぐみ[1][注 1]
愛称めぐさん[3]、メグちゃん[4]、めぐ姉[3]、バラさん[3]、閣下[3]、食料大臣[3]
性別女性
出身地 日本・東京都[5]北区[3][6]
生年月日 (1967-03-30) 1967年3月30日(57歳)
血液型O型[5]
身長156 cm[7]
職業声優、歌手、ラジオパーソナリティ、作詞家、エッセイスト
事務所ウッドパークオフィス
配偶者あり[注 2]
公式サイトMEGUMI HOUSE
林原 めぐみ(はやしばら めぐみ、1967年〈昭和42年〉3月30日[1][9][10] - )は、日本の女性声優、歌手、ラジオパーソナリティ、作詞家(MEGUMI名義)、エッセイスト。東京都北区[3][6]出身、ウッドパークオフィス所属、愛称は「めぐさん」「閣下」「食料大臣」など。
デビュー以来長年にわたり、人気声優として多彩な分野で活躍しており、第3次声優ブームの源流かつ最も代表的な人物。特に歌手活動においては、声優がレコード会社と専属契約をする先駆けとなり、本格的かつ継続的な活動を初めて行ったことで“声優アーティスト”の礎を築いた[11]。
代表作は、『新世紀エヴァンゲリオン』(綾波レイ)、『ポケットモンスター』(ムサシ)、『らんま1/2』(早乙女らんま)、『スレイヤーズ』(リナ=インバース)、『名探偵コナン』(灰原哀 / 宮野志保)、『SHAMAN KING』(恐山アンナ)、『カウボーイビバップ』(フェイ・ヴァレンタイン)など[12][13]。 (※ #活動上の方針・#エピソード・#出演・#ディスコグラフィ・#著作物については、対応する各節を参照) 小さいころの夢はテレビアニメ『キャンディ?キャンディ』を観ては看護婦はいいなと思い、スチュワーデスの作品を観てはスチュワーデスはいいなと、思っていたという[4]。 小学生の時に映画『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』を鑑賞し[14]、キャラクターを演じる「声優」の存在を初めて意識した。以降、声優という職業に関心を持つようになっていった。また、同じくデビュー前である小学生の時には、『銀河鉄道999』関連のイベントに参加して、会場に不在だった池田昌子に代わってメーテル役に挑戦し野沢雅子から称賛されたことがある。後年同じ松本零士作品である『クイーン・エメラルダス』への出演が決まった際には、感動したと語っている[15]。 高校時代に進路を決める際に、過去に父親が病気で倒れたことや手に職をつけたいという考えから、当初は現実的な道として国家資格を取得して看護婦(現:看護師)になることを目指した[16]。しかしながら、願書の提出に行った看護学校の受付の憮然とした態度に怒り、受験のために自ら戒めていたマンガを本屋で立ち読みしていた[注 4]ところ、アーツビジョンの声優無料養成オーディションの広告を発見し怒りに任せて応募[17]。約600人からなるオーディションでは成績もさることながら、たまたま持っていたミカンを審査員に配ったことで「ミカンの子」として強烈なインパクトも残し、アーツビジョン付属日本ナレーション演技研究所の第1期生に特待生の1人として合格(ただし林原本人はミカンの件を覚えていない)[18]。こうしたことから、「声優を目指すのであれば、看護学校を卒業して正看護婦[注 5]免許を取得しろ」という両親の条件に従い、看護学校と声優養成所を1985年から3年間両立させて通い正看護婦免許を取得した[19]。
略歴
デビュー前