林 卓人
名前
愛称タクト
カタカナハヤシ タクト
ラテン文字HAYASHI Takuto
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1982-08-09) 1982年8月9日(41歳)
出身地大阪府茨木市
身長188cm
体重87kg
選手情報
ポジションGK
利き足右足
ユース
1989-1994茨木小学校FC(茨木市立茨木小学校)
1995-1997茨木市立養精中学校
1998-2000金光大阪高等学校
クラブ1
年クラブ出場(得点)
2001-2004サンフレッチェ広島 2 (0)
2005-2009コンサドーレ札幌 71 (0)
2007-2009→ベガルタ仙台(loan) 111 (0)
2010-2013ベガルタ仙台 136 (0)
2014-2023サンフレッチェ広島 191 (0)
通算511 (0)
代表歴
2001 日本 U-20
2002-2004 日本 U-23
2012-2013 日本0 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2023年11月20日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj
林 卓人(はやし たくと、1982年8月9日 - )は、大阪府茨木市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー(GK)。元日本代表。金光大阪高等学校卒業。 茨木小学校FC、市立養精中出身。中学までは全国的には無名な存在で、金光大阪高等学校へ進学後頭角を現す[1]。高校の2年先輩に斉藤大介、 1年後輩に中田洋平・田中淳也がいる。2000年高校3年時インターハイ出場、同年セレッソ大阪に強化指定選手として登録された。 2001年、サンフレッチェ広島とプロ契約する。同期入団に河野淳吾・田中マルクス闘莉王・西嶋弘之・梅田直哉・李漢宰がいた[1]。2002年から下田崇の控え、2ndGKとなる。J1最終節対コンサドーレ札幌戦にて相手FW相川進也と接触した下田の負傷により途中出場(なおその後に相川も林と接触し交代している)、これが林のJリーグ初出場となった。この試合は曽田雄志にVゴールを許して敗戦、広島はJ2降格となった(なおこれがJリーグ史上最後のVゴールである)[2]。同年の天皇杯では下田の怪我によりレギュラーとして出場、広島を準決勝まで進出させる原動力となった[3]。2003年、下田が怪我から復帰すると全く出場機会が与えられなかった[4]。 一方で林はプロ入り以来、各年代の日本代表に選ばれた。2003年カタール国際親善トーナメントでU-22日本代表に、アテネオリンピック最終予選では全6試合に出場し、日本チームをオリンピック出場へと導いた。しかし2004年アテネ五輪本大会においては、正GKにオーバーエイジ枠として曽ヶ端準が抜擢され、さらに腰痛のため控えの座も黒河貴矢に奪われて選外(補欠)となりベンチ外となった。 2005年、藤ヶ谷陽介のガンバ大阪移籍に伴い正GKを探していたコンサドーレ札幌へ完全移籍した。移籍金8000万円(移籍金#日本国内におけるシステム参照)[5]。移籍直後から正GKの座を獲得したが、2006年終盤に持病の腰痛が悪化、不用意なミスも重なって[6] 正GKを佐藤優也に明け渡した。2007年には高木貴弘の加入もあって、ベンチ入りすらできない状況に陥った。 2007年6月、小針清允とシュナイダー潤之介の負傷に伴い、GKを探していたベガルタ仙台へ期限付き移籍[7]。
来歴
プロ入り前
サンフレッチェ広島
コンサドーレ札幌
ベガルタ仙台
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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