林健樹
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はやし けんじゅ
林 健樹
本名林 健樹
別名義草鹿 宏、林田健二
生年月日 (1957-05-05)
1957年5月5日(67歳)
出身地東京都
所属劇団劇団虹色くれよん
劇団えとせとら
事務所有)ビッグアンドエム 正木ルーム
TEL&FAX 03-3950-6686
公式サイト ⇒http://bmmasakiroom.jp/
主な作品

テレビ
『Gメン'75』
『バトルフィーバーJ』
『大江戸捜査網』
『遠山の金さん』
『大岡越前』
『科学戦隊ダイナマン』
『仮面ライダーBLACK』
映画
『科学戦隊ダイナマン』
『お茶をつぐ』
『火面?嘉吉箭弓の一揆』
『Me? Xavier!』
『変身』
舞台
『イエスタデイ』
『どこがヤバイの?朔太郎』
『薔薇十字團・渋谷組』
『猫町観光案内』
『えんとつ町のプペル』
『あの日の…忘れえぬ言葉たち/手紙』
『私はまだ踊らない』
『エレジー?父の夢は舞う?』
ラジオ
『世田谷ラジオ倶楽部』
『開かないドア』(FMさがみ)
『恭子の"水曜日の約束"』(FM 89.2)
YouTube
『朗読&ピアノ』林健樹 - YouTube
『虹色くれよんオンライン』

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林 健樹(はやし けんじゅ、1957年5月5日 - )は、日本俳優東京都出身。劇団いろはを経て、劇団青年座専科?同本科4期卒。『科学戦隊ダイナマン』メギド王子役にちなんで通称「王子」。
人物・略歴

東京都出身。1957年5月5日北区の滝野川病院で生まれる。幼児期は飛鳥山公園豊島園上野動物園で遊んだ。小学校入学前に両親が世田谷区赤堤に転居し、カノッサ幼稚園、常徳幼稚園、世田谷区立赤堤小学校世田谷区立松沢中学校へと進む。2才から教職にあった母親から自宅にあたオルガンの手ほどきを受け、同じ鍵盤楽器なのに音が違うと言って、3才からピアノを日本基督教団経堂北教会の奏楽者だった長谷川美世子に習い始める。幼稚園に進む頃は毎晩寝る時にチャイコフスキーの『白鳥の湖』を聴かせて欲しいと親にせがんだ。2つの幼稚園でも学芸会ではなぜか主役に抜擢され本人はとても嫌だったという。また、小学校入学の際は、新入生代表として挨拶することに決まり、毎晩うなされたという。小学校1年の時に貝谷八百子の『白鳥の湖』に感動する。音楽の道へ進むべく楽典を独学したりスコアを読んだりしていた。小学校6年の時は児童会会長に推薦され、中学へ入るとクラスの実行委員や議長に推薦され、やはり最初は嫌だったが、だんだん面白くなった。

中学2年の時に、その年の合唱コンクールで親友がどうしても歌いたいという『木枯し紋次郎』の主題歌だった『誰かが風の中で』を、音楽教師に直談判して自分たちで3部合唱曲に編曲することを条件に実現する。3部合唱に編曲したのは林健樹である。高校から音楽大学付属高校への進学を希望するが、両親にとりあえず普通科へ進むように言われ、当時の学校群制度で22群を受験するが、当時大好きだった女子や仲間たちと同じ行きたかった高校へ行けず、心を閉ざしてゆく。高校3年の頃には、あまり学校へは行かなくなり、映画館か鎌倉散策に明け暮れる。

心のはけ口と、人前へ出るのが嫌でたまらなかった自分を払拭すべく演劇に活路を求めて劇団いろはを経て劇団青年座専科?同本科で学ぶ(本科4期)。同実習科に合格するが、当初から大学と両立させるという母親との約束から同実習科を辞退、休学中だった青山学院大学へ復学。この時、道を一本隔てた自宅前にいた先輩俳優の原田大二郎から「辞める前に来て欲しかった」と言われる。後々、実習科へ進まないで辞めたことは後悔している。同期に宮田慶子家中宏草見潤平がいる。

TBS『Gメン'75』に「草鹿 宏」(くさか ひろし)名義にて俳優デビュー。名付け親は脚本家の高久進。当時、癌を発病した父親が、その養子縁組をした養父母(林健樹の祖父母)から、養子縁組解消で家裁に訴えられていた。その祖父の名前が「宏」であったため、どうしても馴染めずに「林健樹(現在の本名)」に芸名変更する。しかし後になって「今となっては草鹿 宏も実にイイ名前だった」と語っている。脚本家の高久進は、劇団青年座座付き作家であり脚本家の西島大の大の親友であり、そうした繋がりから『Gメン'75』に続いて様々な東映の特撮番組に出演の機会を得た。

乗馬を宇津井健、ジャズダンスを真島茂樹に学ぶ。乗馬ができたことから、自宅近くの三船プロダクションで時代劇スペシャル『素浪人まかり通る/暁の死闘』で時代劇デビュー。映画監督の松尾昭典山内鉄也らの監督作品にも度々出演している。映画監督の山田洋次は父親の大学法学部の同期。父親が死亡退職した1984年の都立日比谷高校の卒業生に、映画監督の秋原北胤がいる。その父に中学一年生の時に「いいからとにかく見ろ」と言われて見させられた映画が『家族』。倍賞千恵子演じる民子こそ人生で愛すべき女性だと決めたという。母親の神奈川県立横浜平沼高等学校の同級生が竹腰美代子クレイジーキャッツ安田伸にはよく遊んでもらった。亡き父親がかつて教鞭をとっていた聖・ミカエル国際学校依以来の大親友が、元・群馬日産自動車株式会社代表の天野健太郎で、その父親で群馬日産自動車株式会社の創立者である天野文夫が両親の仲人、また、母親の再婚相手が、小金井市立東小学校の第5代校長?世田谷区立経堂小学校校長だった若松乙彦、実弟の嫁の叔父が、第26代日銀総裁の三重野康である。

科学戦隊ダイナマン』の最終回放映後に父親を失い、その悲しみの中で「同じ悲しみを子供に体験させたくないから絶対結婚はしない…」と語っていたが、のちに妻との間に3人の子供に恵まれた。そもそもは父親の差額ベッド代を稼ぐために始めたデパ地下でのアルバイトだったが、3人の子育て中に食品催事販売会社を設立。デパ地下での食品催事販売では、元・岡山県東京物産協会会員として岡山の名産品を紹介、他に徳島の名産品のすだちを使った野田ハニー食品工業鰍フすだちバーモント等の商品を販売した。今でも、どこへ行ってもデパ地下へ行くのが大好きとのこと。

ある時期、同じ酉年の12年先輩の ⇒日本創造教育研究所の田舞徳太郎にあこがれ、同研究所SA(self awareness)?SC(self creation)?LT(leadership training)?3TT(trainer traininng)各コース終了、経営面だけではなく、働く人の心理面をサポートする企業内トレーナーの終了証を持つ。この時、交流分析他、心理学を南博、感性論哲学を芳村思風に学ぶ。また、仕事の傍ら『世田谷区砧おやじ組』や、そこで出会った仲間たちと始めた、世田谷町づくりファンドの助成を受けた『世田谷アドヴェンチャークラブ』の活動により、かねてからふつふつと心の中にあったという田舎暮らしに明確に目覚める。


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