林丈統
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林 丈統

名前
愛称タケ
カタカナハヤシ タケノリ
ラテン文字HAYASHI Takenori
基本情報
国籍
日本
生年月日 (1980-10-14) 1980年10月14日(43歳)
出身地奈良県奈良市
身長168cm
体重70kg
選手情報
ポジションFW
利き足右足
ユース

1993-1995
1996-1998二名FC
奈良市立二名中学校
滝川第二高校
クラブ1
年クラブ出場(得点)
1999-2005ジェフ市原/ジェフ市原・千葉 151 (22)
2006-2009京都パープルサンガ/京都サンガF.C. 71 (4)
2007→ ジュビロ磐田 (loan) 13 (2)
2010-2011ジェフユナイテッド市原・千葉 23 (0)
2012BECテロ・サーサナFC 4 (0)
2012-2013大分トリニータ 11 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2013年12月22日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

林 丈統(はやし たけのり、1980年10月14日 - )は、奈良県奈良市出身の元サッカー選手。ポジションはフォワード
来歴

滝川第二高校サッカー部に所属していた1997年、1998年に2年連続で全国大会に出場。1998年度の大会では当時の大会タイ記録となる通算8得点を挙げて注目され、1999年にジェフユナイテッド市原に入団[1]。主にスーパーサブとして活躍する。2003年に監督に就任したイビチャ・オシムは林の才能を「日本で一番才能のあるストライカー」と評価[2] する一方でスタミナ不足を指摘したこともあり、2005年のJ1第23節・東京ヴェルディ1969戦で6年ぶりにフル出場し、決勝点を挙げたことを「世界の奇跡」と呼んでいた。

2006年、「スーパーサブではなくスタメンとして出たい」という思いから京都パープルサンガに完全移籍。その際にジェフのクラブハウス内にあるホワイトボードに一言メッセージを書き残し、また、移籍についてのコメントを直筆のメッセージで残すなど、選手・関係者・サポーターへの感謝を表した。2007年にはジュビロ磐田にレンタル移籍していたが、ここでも「京都に行った時と同じように、目指すのはスタメンです」とコメントしている。

2009年、J1第30節 京都サンガF.C. vs.大分トリニータの試合で挙げた同点ゴールにより、大分のJ2降格が決定した。

2010年、前身の古河電工時代から含めて初めて2部(J2)に降格したジェフに5年ぶりに復帰したが、2010年、2011年と続けて無得点に終わり2011年オフに戦力外通告を受ける。2012年3月、タイ・プレミアリーグBECテロ・サーサナFCに加入したが[3]、6月1日付けで退団が発表された[4]

その後は無所属の状態であったが、2012年7月30日に大分トリニータへの入団が発表されJリーグに復帰した。リーグ戦では5試合無得点に終わったが、古巣ジェフとの対戦となった11月23日のJ1昇格プレーオフ決勝戦で後半41分に決勝ゴールを挙げ、クラブを4年ぶりのJ1復帰に導いた。なお、2009年J1第30節、京都戦で大分のJ2降格を決定づける同点ゴールを挙げた林は、「大分に加入してから、自分のゴールでJ1にあげるしかないと思ってずっとやってきた。」とコメントしている。

2013年11月28日、契約満了による退団が発表。                  

2016年11月1日、石川県志賀町地域おこし協力隊隊員として委嘱され、スポーツ指導員として志賀中学校サッカー部外部コーチに就任するが、2017年1月25日に地域おこし協力隊を途中退任。理由を「家庭の事情」と説明している。
所属クラブ

二名FC(
奈良市立二名小学校

1993年 - 1995年 奈良市立二名中学校

1996年 - 1998年 滝川第二高等学校

1999年 - 2005年 ジェフユナイテッド市原/ジェフユナイテッド市原・千葉

2006年 - 2009年 京都パープルサンガ/京都サンガF.C.

2007年 ジュビロ磐田期限付き移籍


2010年 - 2011年 ジェフユナイテッド市原・千葉

2012年 - 同年6月 BECテロ・サーサナFC

2012年8月 - 2013年 大分トリニータ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦
リーグ杯オープン杯 期間通算


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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