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板鼻藩(いたばなはん)は、江戸時代前期の短期間、上野(現在の群馬県安中市板鼻町)に存在した藩。 板鼻には、慶長年間に里見忠重が1万石で入部していた。忠重は安房里見氏の一族で、館山藩主里見忠義の叔父にあたる[1]。しかし慶長18年(1613年)10月、忠重は勤務怠慢を理由に改易され、酒井家次預かりの身となった。 その後の寛永2年(1625年)9月2日に、上野厩橋藩主・酒井忠世の長男・忠行が板鼻に2万石の所領を与えられた。忠行は部屋住み身分ながら父とともに徳川秀忠の側近として仕えた人物である。寛永10年(1633年)4月14日には1万石を加増された。寛永13年(1636年)3月、忠行は父の死去により厩橋藩主を継ぐが、忠行の所領であった板鼻3万石はそのまま厩橋藩に吸収され、15万2000石の厩橋藩領の一部となった。しかし忠行は、父の後を追うように寛永13年(1636年)11月17日に死去した(この時、支藩の伊勢崎藩3万石が成立しているため、厩橋藩の石高としては板鼻藩吸収前に戻っている)。その後、寛延2年(1749年)の酒井家の姫路転封を機に、板鼻領は幕府領に編入された[2]。 外様。1万石。 譜代。2万石→3万石。
藩史
歴代藩主
里見家
忠重(ただしげ)
酒井家
忠行(ただゆき)
脚注^ 滝川恒昭「上野国板鼻城主里見讃岐守について」『館山と文化財』29号、1996年。
^ 井上定幸「板鼻」『日本史大事典』 1巻、平凡社、1992年。
関連項目
板鼻宿
板鼻陣屋
歴
大政奉還から廃藩置県までの間に存在した藩
慶応3年(1867年)旧暦10月 - 明治4年(1871年)旧暦7月
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