板野一郎
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いたの いちろう板野 一郎
プロフィール
生年月日 (1959-03-11)
1959年3月11日(65歳)
出身地 日本神奈川県横浜市南区
職業アニメーター
アニメ演出家監督
所属紺吉有限会社(映像創作顧問)
ジャンルアニメーション
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板野 一郎(いたの いちろう、1959年3月11日 - )は、日本アニメーターアニメ演出家監督。新潟のCGアニメスタジオ・紺吉有限会社に所属・映像創作顧問[1]神奈川県横浜市南区出身。
略歴.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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出典検索?: "板野一郎" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2018年12月)

小・中学生時代は、横浜市南区に居住する。隣家は、在家得度者で俳人の望月明であった。高校3年のとき、スタジオムサシでのテレビアニメ惑星ロボ ダンガードA』の動画からアニメーターとしてのキャリアをスタート。幼少期に読んでいた漫画『鉄人28号』『サブマリン707』の影響でメカ好きになり、メカのカットばかりこなしているうちに、いつの間にかメカ専門になったという。同僚の森山ゆうじとのフリー活動やスタジオコクピットを経て、ムサシの先輩だった浜津守の誘いでテレビアニメ『機動戦士ガンダム』に参加し、同作で1979年に原画へ昇格を果たす。

次いでスタジオビーボォーに籍を置き、『伝説巨神イデオン』に参加。この両作品で、安彦良和湖川友謙(ビーボォー主宰)らベテランから作画技法を学ぶ。独自のアクション演出を磨き、イデオンの「全方位ミサイル発射シーン」や多数のアディゴが乱舞する戦闘シーンなどで注目を集めた。

1982年、スタジオぬえ河森正治に誘われ、同僚の平野俊弘らとアートランドへ移籍し、『超時空要塞マクロス』に参加する。主役メカのバルキリーの斬新なデザインに惚れ込み、メカニック作画監督として個性を発揮。スピーディーでアクロバティックな戦闘シーンは板野サーカス(後述)と称され、メカ好きのアニメファンから注目された。

1985年のOVAメガゾーン23』は演出を手掛けるきっかけとなった(声優としても1台詞だけ出演)。1986年の続編『メガゾーン23 PART II 秘密く・だ・さ・い』で監督デビュー(メカ作監兼)。以後、次第にアニメーターとして作画を行なうことは少なくなり、アニメ演出家としての仕事に比重を移した。同年12月にはアートランドから独立し、結城信輝、本谷利明、門上洋子、森川定美を擁してD.A.S.T (Defence Animation Special Team) を結成。OVAを中心に『エンゼルコップ』シリーズなどのアクション作品を監督した。

1994年の『マクロスプラス』で久々に作画を手掛けた後はCGの可能性に目を向け、ゲームや実写特撮作品のCGモーション監修にも活動を広げた。2004年の『ULTRAMAN』や『ウルトラマンネクサス』以降の「ウルトラシリーズ」などに参加している。

2008年には企画から監督まで全面的に手がけた『ブラスレイター』を発表。その後は同作のCG班がGONZOから独立したグラフィニカにアドバイザーとして籍を置き、後進の指導を行っている[2][3]

最初の師匠である安彦良和とは、『クラッシャージョウ』の現場を辞めて『マクロス』に参加して以来関係が途絶えていたが、安彦の『ガンダム』画集にまつわる仕事[4]でほぼ30年ぶりに再会し、アニメ版『機動戦士ガンダム THE ORIGIN I』(2015年)の制作に協力している[5]
板野サーカス
概要

板野一郎が演出する立体的超高速戦闘アクション、または、その特徴を踏襲したアクションシーンを指す。『イデオン』の演出がアニメ業界で話題を呼び、メカの軽快な動きをサーカスの空中曲芸に喩えてこう呼ぶようになった。

板野サーカスの呼称は「マイアニメ」1982年11月号で、メカデザイナーの宮武一貴が「ぼくらは板野サーカスっていってるんですけど」とインタビューで発言したのが初出。同誌1982年12月号では、板野サーカス特集記事が掲載されている[6]。「サーカス」とは大日本帝国海軍のパイロット源田実が航空機献納式で行った3機編隊のアクロバット飛行が「源田サーカス」と呼ばれたことにちなんでいる[7]

従来のロボットアニメの戦闘シーンは西部劇時代劇のような銃や刀を使った「決闘」の様式をとり、ロボットの重厚感やポージング(決めポーズ)を重視した演出が多かった。この好例として、『ガンダム』などの戦闘シーンでの殺陣が挙げられる。これに対し、板野は敵味方が高速で縦横無尽に飛び回る「空中戦(または宇宙空間戦)」を舞台に、目まぐるしいスピード感やアクロバティックな動きで新たな見せ場を作った。

その原点は少年期に観た『人造人間キカイダー』に登場するハカイダーのオートバイからロケット弾が発射されるシーン。学生時代にそれを真似て愛車のフロントフォークにロケット花火を取り付け、海岸で追いかけっこをしながら走行中に一斉に打ち出すという遊びを行っていた。このとき、「攻撃側よりも追撃される側のほうが面白かった」と語っている[8]。その花火と並走した体験をアニメ表現に当てはめたのが、三次元感覚の画面構成である。また、撮影レンズやフレームの変化など、カメラワークの工夫でスピード感をより強調している。
特徴的な演出

アスペクト社の『SFアニメがおもしろい―機動戦士ガンダムから新世紀エヴァンゲリオンまで―』(EYE・COM Files著、1996年12月、.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-4-89366-643-7)で、これらについて言及した記述がなされている。


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