板絵
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ヘントの祭壇画 (1432年)』初期フランドル派の代表的な画家フーベルト・ファン・エイクヤン・ファン・エイク兄弟が24枚の板の両面に描いた多翼祭壇画

板絵(いたえ)またはパネル絵(パネルえ)、パネル画(パネルが)は、一枚あるいは組み合わされた数枚の木製のパネル(板)の上に描かれた絵画キャンバスが普及する16世紀半ばまでは、フレスコ画に使用された壁や装飾写本ミニアチュールに使用された羊皮紙に比べて、絵画制作にもっともよく使用された支持体だった。板に描かれた各国の伝統的絵画は多く存在し、現在でも板に描かれる絵画もあるが、板絵という用語は西欧で描かれた絵画を意味することが一般的となっている。
歴史2世紀に描かれたファイユームで発見された「ミイラ肖像画」。板にエンカウスティークで描かれているが、経年変化で板にひびが入っている

板絵の歴史は非常に古く、古代ギリシアやローマでも一流の芸術品と見なされていたが、当時の板絵はほとんど現存していない。ギリシアのコリンティアから出土し、アテネ国立考古学博物館が所蔵する『Pitsa panels』は紀元前6世紀に描かれたもので、現存する最古の板絵である。他にも紀元前1世紀から西暦3世紀のエジプトのミイラとともに埋葬されていた「ミイラ肖像画」がある。エジプトの乾燥した気候に守られて、古代ローマ時代に描かれたこれらの肖像画は約900枚ほどが現存している。ローマ帝国皇帝セプティミウス・セウェルスと息子たちを描いた『セウェルスの円形画』も現存している古い板絵として有名な作品である。ビザンティン美術正教会イコンにもよく見られ、聖カタリナ修道院には、5世紀から6世紀に描かれた当時の最高水準のイコンの板絵が所蔵されている。エンカウスティークテンペラが古代から使用されてきた絵画技法だったが、エンカウスティークは初期ビザンティン美術のイコンを最後にほとんど使用されなくなっていった。

板絵は12世紀後半に広まった新しい典礼習慣のために、北ヨーロッパで再び盛んになった。ミサを執行する司祭と参加する信徒がともに祭壇の同じ側に位置するようになったため、祭壇の背後には宗教的装飾が不要となったかわりに、祭壇そのものを装飾することが求められたのである。当時作成された祭壇は、背面、前面、キリスト磔刑像で構成されており、すべてに宗教的モチーフが描かれていた。通常は、その教会に献納されるのにふさわしい聖者とともにキリストあるいは聖母マリアが描かれており、その教会が存在する町や教会区が描かれていた。そして祭壇の献納者とその家族が祭壇に描かれることもあり、脇にひさまずいている姿勢で描かれることが多かった。オーク板に油彩で描かれた『アルノルフィーニ夫妻像』ヤン・ファン・エイク(1434年)

13世紀、14世紀のイタリアでは板絵が全盛期を迎えており、特に祭壇画など宗教的な題材を扱ったものはほとんどが板絵に描かれていた。しかしこの当時に描かれた板絵の99.9%は現存していないと考えられている。初期フランドル派の作品も大部分が板絵で、油彩で描かれたヤン・ファン・エイクの最初期の肖像画など、非宗教的な題材を扱った作品も多かった。キャンバスに油彩で描かれた絵画で現存している最初期の作品は、現在ベルリンの絵画館が所蔵するフランス人画家の『聖母と天使』で、この作品は油彩で描かれた絵画としてももっとも古い作品の一つとなっている。


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