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ばんどう えいじ
板東 英二
本名板東 英二
生年月日 (1940-04-05) 1940年4月5日(84歳)
出生地 満洲国 東安省虎林県(現:中国黒竜江省虎林市)
国籍 日本
身長168cm
職業元プロ野球選手
(1959年 - 1969年)
元野球解説者・タレント・俳優・司会者
(1969年 - 2020年)
活動期間1959年 - 2020年
配偶者独身(2018年死別)
受賞
日本アカデミー賞
最優秀助演男優賞
1989年『あ・うん』
ブルーリボン賞
助演男優賞
1989年『あ・うん』
その他の賞
第2回日刊スポーツ映画大賞助演男優賞
備考
誕生日(4月5日)は公称
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板東 英二中日ドラゴンズに入団した1959年当時の板東
基本情報
国籍 日本
出身地徳島県板野郡板東町(現:鳴門市)
生年月日 (1940-04-05) 1940年4月5日(84歳)
身長
体重168 cm
66 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り1959年
初出場1959年4月15日
最終出場1969年10月18日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
徳島県立徳島商業高等学校[1]
中日ドラゴンズ (1959 - 1969)
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板東 英二
YouTube
チャンネル
B.E.(Boiled Egg)チャンネル
活動期間2016年8月8日 - 2017年2月17日
ジャンル野球
登録者数8770人
総再生回数1,371,203回
チャンネル登録者数・総再生回数は
000000002023-09-25-00002023年9月25日時点。
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板東 英二(ばんどう えいじ、1940年〈昭和15年〉4月5日[注 1] - )は、日本の元プロ野球選手、元タレント、野球解説者、俳優、司会者、YouTuber。「坂東英二」は誤記[2][注 2]。愛称は「板(ばん)ちゃん」。
高校野球時代に投手として数々の記録を打ち立てて名を馳せる。プロ野球選手としては中日ドラゴンズに所属し、在籍11年で77勝を挙げた。現役引退後は、主にタレント業で活動していた。
満洲国虎林生まれ[注 3]、徳島県板野郡板東町(現:鳴門市)出身。既婚者で、2女の父親。 満洲の虎林で生まれ、一家は間島省(現・吉林省延辺朝鮮族自治州)図們市で高級料理店を経営していた[3]。誕生日は公式には4月5日とされているが、板東自身が語っているところによれば、実際には3月31日だったという[4]。4人兄弟の末っ子(姉2人、兄1人)。 5歳で引き揚げ。博多港から母・久江(旧姓 杉本)の出身地の神戸市宮ノ下に移り、神戸市立妙法寺小学校に入学。これは1947年4月のことで、実際の誕生日から見ると正規の学齢より1年遅かった[4]。入学式の1日だけ行った後、父・操(みさお)の復員を知り、父の故郷である徳島県板野郡板東町に移り、旧板東俘虜収容所の施設を転用した引き揚げ者用住宅で過ごす。父親の就業が不安定だった小中学校時代には困窮した生活を送り、食事にも事欠いた[3]。 板東中学校入学時に板東はバレーボール部に入り、養蚕農家の手伝いをして家計を助けた[3]。中学2年の時に野球部の先輩から誘いを受けて入部し、遊撃手としてレギュラーを獲得する[3]。3年に進級した板東は野球部のエースとして活躍し、中学時代に61連勝の記録を挙げた[3]。 1956年に徳島県立徳島商業高等学校へ入学。エースとして同年の秋季四国大会に進み、1回戦で高知商の小松俊広と投げ合うが延長11回サヨナラ負け。
経歴
高校野球時代