板垣退助の系譜(いたがきたいすけのけいふ)は、明治維新の元勲・板垣退助の家族、先祖、子孫および姻族関係についての項目である。 乾家の初代・正信は、甲斐の武田晴信(信玄)に仕えた部将・板垣信方の孫である。正信の父・板垣信憲がゆえあって改易されたあとに誅された事件があったため、籠居して乾氏に名を改めた。正信は長じて小田原征伐に陣借りして奮戦し、その功によって山内一豊が遠江国掛川に封ぜられた天正18年(1590年)に召し抱えられた(掛川衆)。江戸時代は代々土佐藩士で、家格は馬廻役(上士)。 戊辰戦争中に板垣退助が乾姓から板垣姓に復姓している[1]。 板垣退助は、明治20年(1887年)5月9日に維新の功により華族の伯爵に叙せられた[2]。しかし板垣退助は一代華族論を持論としていたため、子孫に爵位を受け継がせず、伯爵位を保持したのは彼一代のみだった[3]。 家紋は、もともと「地黒菱[4]」を用いたが、姓を乾氏に改めた戦国時代末期ごろから明治時代中期ごろまでは「榧之内十文字」を用いた。板垣退助は、土佐山内氏から賜った「土佐桐[5]」を明治中期以降は用いた。 板垣兼信 板垣頼時
乾氏(板垣氏)
板垣伯爵家詳細は「板垣家 (伯爵家)」を参照
家紋
地黒花菱
榧之内十文字
土佐桐
系図
板垣頼重 板垣頼兼 板垣行頼 板垣長頼 三郎左衛門
板垣信頼
板垣實兼
武田長兼 武田信直 中村兼邦 中村兼貞
三郎左衛門 板垣兼光 板垣播磨守 板垣松溪 願阿彌 善満坊
板垣四郎
板垣備州 板垣伯耆守 永原一照
板垣信泰 板垣信方 板垣信憲 板垣正信 乾正行[6]
室住虎登 板垣信廣 板垣正寅[7] 板垣正善 板垣攝紅
女子 酒依昌光 女子 酒依昌吉
女子 板垣修理亮 半右衛門 平右衛門
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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