.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}板倉(いたくら) 聖宣(きよのぶ)板倉の肖像(2012年。82歳)
人物情報
別名いたずら博士
生誕 (1930-05-02) 1930年5月2日[1]
東京府下谷区(現 東京都台東区)[1]
死没 (2018-02-07) 2018年2月7日(87歳没)[1][2][3]
出身校浦和高等学校 (旧制)
東京大学 (新制)
学問
研究分野教育学、科学史
研究機関国立教育研究所
板倉研究室
学位東京大学理学博士[4]
主な業績科学的認識の成立条件の発見。仮説実験的認識論の発見と仮説実験授業による実証によって「授業の科学的研究」を確立した。仮説実験授業研究会の設立と「たのしい授業学派」の確立。
主要な作品『増補日本理科教育史』[1]、「いたずらはかせのかがくの本」シリーズ(国土社)
影響を受けた人物三浦つとむ、小倉金之助、武谷三男、大谷真一[5]
学会日本科学史学会、仮説実験授業研究会
主な受賞歴パピルス賞
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板倉 聖宣(いたくら きよのぶ、1930年〈昭和5年〉5月2日[1] - 2018年〈平成30年〉2月7日[2][3])は、科学史や教育学、理科教育史を専門とする日本の研究者。主な業績は「科学的認識の成立条件」の発見、仮説実験的認識論の発見と仮説実験授業による具体化と実証によって「授業の科学的研究」を確立した。仮説実験授業研究会設立による「たのしい授業学派」の確立など。東京大学理学博士[4]。「仮説実験授業」の提唱者で、「いたずら博士」として科学啓発書を中心に多数の著書を執筆した[1]。国立教育研究所 物理教育推進室長[6]、仮説実験授業研究会 代表[6]、(私立)板倉研究室 室長[1]、日本科学史学会 会長を歴任[7]。『ひと』(太郎次郎社)や『たのしい授業』(仮説社)の創刊にも貢献[1][3]。『増補日本理科教育史』でパピルス賞を受賞し[1]、没後の2019年には英訳論文精選集『Hypothesis-experiment class (Kasetsu)』が出版されている[8]。 1930年(昭和5年)5月2日、東京の下町に10人兄弟の7人目として生まれる[9]。父は医療機械の製造職人[10]。小中学生の頃は数学が好きだったが、暗記を馬鹿にしていたため成績は悪く、公立中学校の受験に失敗した[10]。私立本郷中学校に入学したものの1945年2月25日の空襲で自宅が全焼し、長野県塩尻町(現・塩尻市)に一時疎開[11]。父の圧力もあり1945年(昭和20年)に名古屋陸軍幼年学校に入学したが、4か月の在学で敗戦を迎え、翌年東京へ戻る[11]。
生涯
生い立ち