松蔭浩之
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出典検索?: "松蔭浩之" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2019年6月)

松蔭 浩之(まつかげ ひろゆき、1965年12月18日 - )は、現代美術家写真家
経歴・人物

福岡県出身。1988年大阪芸術大学写真学科卒業。

1990年アートユニット「コンプレッソ・プラスティコ」でベネチア・ビエンナーレに世界最年少で選出される。以後、数多くの国内外個展やグループショー、シンガポール・ビエンナーレ(2006年)ほか国際芸術祭に参加。写真作品を中心にインスタレーションパフォーマンス、ミュージシャン、執筆、グラフィックデザイン、俳優、映画監督など多岐に渡って活動を続ける。

アートグループ「昭和40年会」(1994年結成。現メンバーは会田誠、有馬純寿、小沢剛大岩オスカール、パルコキノシタ、松蔭浩之の6人)では会長を務める。宇治野宗輝とのロックデュオ「ゴージャラス」(1997年結成)では国内外でのライブを盛んに行った。

また、2016年再始動したポストインダストリアルグループ「PBC」(1987年結成)でも演奏活動を続ける。

俳優としては金子雅和監督『アルビノの木』など数々の作品に出演。

監督作品は、画家の会田誠を主演に起用した『砂山』(2012)、若林美保主演の『LION』(2018)がある。また大学、専門学校の教壇に立ち、講義やワークショップを精力的に行う。

美學校」においては現代美術を独自の視点で分析し、アートの読み解き方、表現発想法をわかりやすく指導する講座『アートのレシピ』にて後進の指導にもあたっている。
展覧会

個展・二人展

「PERFECT DAY - SOUND&VISION of MATSUKAGE」(Gallery SOAP/福岡、2017年)

「LUST」 (
ミヅマアートギャラリー/東京、2017年)

「ギグメンタ2016 松蔭浩之×田中偉一郎 怪獣」(BLOCK HOUSE/東京、2016年)

「著者近影 文芸家の肖像写真展」 (男木島図書館/香川、2016年)

「日常採取 ?A DAY IN THE LIFE」(Gallery Saitou Fine Arts/横浜、神奈川、2014年)

「KAGE」(ミヅマアートギャラリー/東京、2010年)

「MATSUKAGE WORKS 2」(Gallery SOAP/福岡、2007年)

「松蔭浩之×津村耕佑 妄想オーダーモード」(ミヅマアートギャラリー/東京、2007年)

「奇跡の人 松蔭浩之」(ミヅマアートギャラリー/東京、2004年)

「昇降する男、横断する女」(gm (graf)/大阪、2003年)

「You are MY Mirror」(depot/東京、2002年)

「ECHO‐The Hall of Mirrors」(ミヅマアートギャラリー/東京、2002年)

「Yves Red Cap Klein」(ナディッフ/東京、2002年)

「Forever 1965-2000」(三菱地所アルティアム/福岡、2000年)

「STAR」(ミヅマアートギャラリー/東京、2000年)

「Matsukage」(Canvas International Art/アムステルダム、オランダ、2000年)

「美人画 会田誠 vs 松蔭浩之」 (ミヅマアートギャラリー/東京、1997年)

「マイ・ライフ」(レントゲン藝術研究所/東京、1995年)

「10年前」(なすび画廊(能古島)/福岡、1994年)

「ザ・セッティング・サン?斜陽ツアー」(リーセントギャラリー/札幌、モマコンテンポラリー・ウェアハウス/福岡、1994年)

「Top Breeder 2」 なすび画廊(NICAF横浜、神奈川/1994年)[注 1]

「ザ・セッティング・サン?斜陽」(細見画廊/東京、1993年)

「Everybody knows NEWLIFE / Nobody knows NEWLIFE」 (ナンバシティホール/大阪、1993年) [注 1]

「スーパーエロス・ハイパーヴィーナス」(細見画廊/東京、1992年)

ジャパン・フェスティバル ’91 「REALIZE ? すべては成就する」(in Radical Chip/過激分子、オールド・ライブラリー・ギャラリー、カーディフ、イギリス、1991年)[注 1]

「What’s NEWLIFE」 (モーリー・ギャラリー/大阪 、1989年)[注 1]

「禁断の九月」 (オン・ギャラリー/大阪、1988年)[注 1]

「Love and Gold」 (ギャラリー白/大阪 、1988年)[注 1]


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