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松竹株式会社
Shochiku Co.,Ltd.
東劇ビル
本社及び関連部署、子会社と上映館東京劇場が入居している。
種類株式会社
機関設計監査役会設置会社[1]
市場情報東証プライム 9601
1949年5月16日上場大証1部(廃止) 9601
1949年5月14日 - 2013年7月12日福証 9601
1949年7月22日上場札証 9601
1950年4月1日上場
本社所在地 日本
〒104-8422
東京都中央区築地四丁目1番1号
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度40分3.6秒 東経139度46分7.2秒 / 北緯35.667667度 東経139.768667度 / 35.667667; 139.768667座標: 北緯35度40分3.6秒 東経139度46分7.2秒 / 北緯35.667667度 東経139.768667度 / 35.667667; 139.768667
設立1920年(大正9年)11月8日
(帝国活動写真株式会社)
業種情報・通信業
法人番号6010001034809
事業内容演劇、映画その他各種の興行
演劇の企画、製作及びその請負
不動産の賃貸、管理、売買、交換及び仲介 他
代表者代表取締役会長 会長執行役員 迫本 淳一
代表取締役社長 社長執行役員 ? 敏弘
代表取締役 副社長執行役員 武中 雅人
取締役 副社長執行役員 山根 成之
資本金330億1800万円
(2021年2月28日現在)[2]
発行済株式総数1393万7857株
(2021年2月28日現在)[2]
売上高連結: 524億3400万円
単独: 310億6300万円
(2021年2月期)[2]
営業利益連結: △54億8300万円
単独: △17億8200万円
(2021年2月期)[2]
経常利益連結: △56億1000万円
単独: △10億8900万円
(2021年2月期)[2]
純利益連結: △114億7800万円
単独: △50億2400万円
(2021年2月期)[2]
純資産連結: 806億0800万円
単独: 812億2600万円
(2021年2月28日現在)[2]
総資産連結: 1912億0500万円
単独: 1838億2400万円
(2021年2月28日現在)[2]
従業員数連結: 1,427人
単独: 588人
(2021年2月28日現在)[2]
決算期2月末日
会計監査人新創監査法人[2]
主要株主歌舞伎座 3.48%
みずほ銀行 3.26%
日本マスタートラスト信託銀行(信託口) 3.23%
三菱UFJ銀行 3.14%
セコム 2.68%
清水建設 2.67%
大林組 2.61%
西松建設 2.38%
大成建設 2.25%
TBSテレビ 2.23%
(2021年2月28日現在)[2]
主要子会社#連結子会社参照
関係する人物白井松次郎
大谷竹次郎
小山内薫
城戸四郎
大谷隆三
永山武臣
奥山融
外部リンクhttps://www.shochiku.co.jp/
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松竹株式会社(しょうちく 英: Shochiku Co.,Ltd.[3])は、日本の映画、演劇の制作、興行、配給を手掛ける日本の企業。東宝、東映と並ぶ日本のメジャー映画会社「御三家」のひとつ。
概要[ソースを編集]
演劇の興行会社として創業し、その後映画の配給や制作にも進出した。
映画については戦前より“松竹大船調”と呼ばれるホームドラマ、人情喜劇を得意とし、東宝のサラリーマン喜劇、特撮、東映の時代劇、ヤクザ映画、日活のアクション映画、青春映画などとともに各大手会社のカラーを鮮明にした日本映画全盛期を担った。60年代より専属俳優よりはテレビ等で人気の出たスターを迎える傾向が強くなり、その一人である渥美清は70年代?80年代にかけて、ほとんどが同社の年間興行成績トップを独占し続けるという『男はつらいよ』シリーズで、外部俳優ながらも同社の屋台骨を支えた。彼の死(1996年)後3年弱で松竹は邦画興行ブロックを停止、翌年には大船撮影所も閉鎖することになる。
祖業である演劇・舞台興行においては、東京に2ヶ所(歌舞伎座、新橋演舞場)、関西に2ヶ所(京都南座、大阪松竹座)の4ヶ所の劇場を保有。歌舞伎興行をほぼ独占的に扱う他、新派や松竹新喜劇も手掛けている。また傘下に持つ松竹芸能では、主に関西で「角座」での演芸公演を行っており、吉本興業と並ぶ上方演芸・大阪芸能界の主要事務所となっている。
第二次世界大戦前の1935年(昭和10年)、松竹は吉本興業との間に紳士協定を締結。関西において松竹は一切演芸界に手を出さない。その代わりに吉本は外の会社に所属演芸師を出演させたり、他会社に投資したりしないという取り決めがなされ、松竹は漫才などの演芸部門から手を引いた時期がある。しかし1939年(昭和14年)に吉本興業の林正之助が東宝の経営陣に迎えられ、所属芸人を東宝映画に出演させ始めた。松竹は協定が破られたとして演芸部を新設して対抗。折から新興キネマによる吉本所属芸人の大量引き抜きもあり、業界内は所属先をめぐり大混乱となった[4]。その後、各社間の手打ちが行われたが、松竹は会社として演芸部門についても維持し続けることとなった。
文楽(人形浄瑠璃)や歌劇(松竹歌劇団、大阪松竹歌劇団(現在のOSK日本歌劇団))、直営の演芸(浅草松竹演芸場、道頓堀角座、神戸松竹座等)から相撲興行やプロ野球(セ・リーグ加盟の松竹ロビンス)、ボウリング、アイススケートリンクの運営等幅広い活動を行い、一時は明治期からのお雇い外国人、アウグスト・ユンケルを指揮者として松竹交響楽団なる本格的なオーケストラまで所有していた(戦時中は「大東亜交響楽団」と改称したが戦後に自然消滅)。