松田直樹
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この項目では、元サッカー選手について記述しています。プロボクサーの同名の人物については「松田直樹 (ボクサー)」をご覧ください。

俳優の「松田尚樹」とは別人です。

松田 直樹

名前
愛称マツ、マツさん、ナオキ
カタカナマツダ ナオキ
ラテン文字MATSUDA Naoki
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1977-03-14) 1977年3月14日
出身地群馬県桐生市
没年月日 (2011-08-04) 2011年8月4日(34歳没)
身長183cm[1]
体重78kg[1]
選手情報
ポジションDF
利き足右足

クラブ1
年クラブ出場(得点)
1995-2010横浜マリノス
横浜F・マリノス
385 (17)
2011松本山雅FC 15 (1)
通算400(18)
代表歴2
1993 日本 U-174 (1)
1995 日本 U-204 (0)
1996-2000 日本 U-235 (0)
2000-2005[2] 日本40 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。2011年8月4日現在。
2. 2005年1月29日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

松田 直樹(まつだ なおき、1977年3月14日 - 2011年8月4日)は、群馬県桐生市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションディフェンダー。元日本代表

2002 FIFAワールドカップ日本代表メンバー
来歴
プロ入り前

小学1年の時、兄の影響でサッカーを始める。地元の天沼FCには小学3年から始める規定のところを特例で入団した。当時できたリフティングは最高で16回。他にも野球・バドミントン・水泳・ラグビーと様々なスポーツに挑戦するが、負けず嫌いの性格からどうしても一番になれないサッカーに夢中になっていった[3]

中学まではFWの選手だった。当時U-15日本代表の監督であった小嶺忠敏が山田耕介(当時前橋育英高等学校監督)にいいDFがいないかを相談した際に、FWでありながらDFとしての適性も持つ松田が推薦されたことをきっかけに、その後のDF人生がスタートした。

U-15代表で小嶺のもとでDFとして指導を受けると、進学した前橋育英でも山田の元で指導を受けた。その後、山田が選手時に使用していた背番号「14」を与えられるようになった。当時松田には「超高校級」の触れ込みがあり、当時のJリーグ全12クラブのうち10クラブの争奪戦の末、横浜マリノス(現横浜F・マリノス)に加入する。
横浜マリノス / 横浜F・マリノス時代

1995年、監督のホルヘ・ソラーリに「君は将来井原正巳を追い越す才能を持っている」と評価され[4]、3月18日、開幕戦の鹿島アントラーズ戦でスタメンに抜擢された。5月にソラーリが退任し、早野宏史体制になってからは主に控えでの出場が多かったものの、1stステージ優勝に貢献した。9月30日、名古屋グランパスエイト戦でプロ初ゴールを決めた。チームはこの年、初のリーグ王者に輝いた。

1997年に右膝半月板損傷、1998年に初手術を受けた。復帰後はレギュラーに定着し、1999年、高校時代からの背番号「14」から、井原の背番号「4」のひとつ前の「3」を付けるようになる。

2000年、Jリーグベストイレブンを初受賞。

2002年、2度目のベストイレブンを受賞した。その後行われた契約交渉ではクラブ側との意見の食い違いを見せ、当時の社長である左伴繁雄との5時間にわたった直接会談で和解し契約を更新。「永久にマリノスだよ」という言葉を残した。

2003年から2年間キャプテンを務め、チームはリーグ連覇を果たす。2005年にJリーグ通算250試合出場を達成。

2006年にはキャプテンに再び就任。2007年、オフに骨片が右膝十字靭帯を圧迫し、手術。その後、守備的MFとしてナビスコカップGL第1節の大宮アルディージャ戦で復帰した。この年、再び監督に就任した早野宏史からレギュラーを外されていたが、リーグ第16節のガンバ大阪戦でセンターバックとして先発し、39試合連続得点中のG大阪を無失点に抑えた。その後、第18節大分トリニータ戦で、リーグ戦300試合出場を達成。2006年には複数年契約拒否、2007年には約60%の減俸となったが、横浜FMへの愛・サポーターからの愛情を大事にしたい一心で契約更新をする[5]

2008年、河合竜二の負傷により、再び守備的MFに抜擢される。最終ラインを守るチームメイトからは「DFの前にDFがいる」と頼りにされた。6月、小椋祥平に触発され、4年ぶり坊主頭(五厘刈り)を披露[6]。それがチーム内に連鎖し、田中裕介小宮山尊信ら選手だけではなくチームスタッフや記者まで頭を丸めた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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