松田春翠
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株式会社マツダ映画社
Matsuda Film Productions, Co., Ltd.
種類株式会社
市場情報非上場
略称マツダ映画社
本社所在地 日本
120-0003
東京都足立区東和3丁目18番4号
設立1952年
業種サービス業
法人番号1011801012041
事業内容フィルムレンタル 等
代表者松戸幸子
関係する人物松田春翠 創立者
澤登翠
縁寿
片岡一郎
坂本頼光
柳下美恵
新垣隆
外部リンク ⇒http://www.matsudafilm.com/
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株式会社マツダ映画社(マツダえいがしゃ)は、サイレント映画専門の日本の映画会社である。約1,000作品、6,000巻を超えるフィルム・アーカイヴを持つ[1]
データ

所在地 :
東京都足立区東和3丁目18番4号 [1]

初代代表 : 松田春翠 [1]

会社概要

1952年(昭和27年)、活動弁士の松田春翠が設立した[1]。松田は、第二次世界大戦終了2年後の1947年(昭和22年)に復員し、サイレント映画の上映される場所での活動弁士としての活動の傍ら、散逸したフィルムの蒐集を始める[2]。翌年、父の名を襲名して二代目松田春翠となり、4年後には同社を設立した[2]

1959年(昭和34年)、「無声映画鑑賞会」を設立、松田が初代会長に就任した[2]。以降、定期的な上映会を行い、機関紙『活狂』(かつきち)を発行している[3]

1977年(昭和52年)にはオムニバス映画『噫活弁大写真』[4]1979年(昭和54年)には監修・原作・脚本稲垣浩、監督山田達雄によるサイレントの劇映画『地獄の蟲』[5]1980年(昭和55年)には、松田の演出によるドキュメンタリー映画『阪妻 - 阪東妻三郎の生涯』[6]を製作するほか、市川崑監督の『映画女優』(1987年)等に協力した[7]。⇒ #フィルモグラフィ

1987年(昭和62年)8月8日、初代社長二代目松田春翠が死去した[2]

2001年(平成13年)から、無声映画鑑賞会が編集、アーバン・コネクションズが出版するサイレント映画に関する書籍を同社が監修している。⇒ #ビブリオグラフィ

2007年(平成19年)、同社の取締役で二代目松田春翠の子息・松田豊が相談役を務めるデジタル・ミームから、Talking Silentsシリーズとして、同社の所有する日本のサイレント映画のフィルムをDVD化し、リリースしている[8]
フィルモグラフィ

日本映画データベースでの検索結果[9]

『噫活弁大写真』 : 監修稲垣浩、構成向井寛、1977年 - 製作

悪魔の手毬唄』 : 監督市川崑、1977年 - 協力

『地獄の蟲』 : 製作松田春翠、監修・原作・脚本稲垣浩、監督山田達雄、1979年 - 製作

ちゃんばらグラフィティー 斬る!』 : 総監修マキノ雅裕、監督浦谷年良、1981年 - 製作協力

夢みるように眠りたい』 : 監督林海象、1986年 - 協力

映画女優』 : 監督市川崑、映画史監修田中純一郎、1987年 - 資料協力

『阪妻 - 阪東妻三郎の生涯』 : 製作・演出松田春翠、構成佐藤忠男、1980年 - 1993年 - 製作・配給

ビブリオグラフィ

国立国会図書館蔵書[10]

『活動弁士 無声映画と珠玉の話芸』、編集無声映画鑑賞会、出版アーバン・コネクションズ、2001年12月 ISBN 4900849502 - 監修

『よみがえる幻の名作 日本無声映画篇 映画史探究』、編集無声映画鑑賞会、出版アーバン・コネクションズ、2003年1月 ISBN 4900849618 - 監修

『日本無声映画俳優名鑑』、編集無声映画鑑賞会、出版アーバン・コネクションズ、2005年1月 ISBN 4900849758 - 監修

Talking Silents

Talking Silents(トーキング サイレンツ)は、日本のサイレント映画のシリーズである。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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