松田博資
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松田博資
2011年阪神JF表彰式
基本情報
国籍 日本
出身地佐賀県佐賀市
生年月日 (1946-01-29) 1946年1月29日(78歳)
騎手情報
所属団体日本中央競馬会
所属厩舎上田武司(1963年 - 1979年)
白井寿昭(1979年 - 引退)
初免許年1964年
免許区分平地障害
騎手引退日1981年
重賞勝利8勝(平地2勝、障害6勝)
通算勝利1037戦188勝
調教師情報
初免許年1981年(1983年開業)
調教師引退日2016年2月28日
重賞勝利82勝(中央70勝、地方11勝、国外1勝)
G1級勝利29勝(中央19勝、地方9勝、国外1勝)
通算勝利7001戦800勝(中央のみ)
経歴
所属栗東トレーニングセンター
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松田 博資(まつだ ひろよし、1946年1月29日 - )は日本中央競馬会 (JRA) に所属していた元調教師、元騎手

佐賀県佐賀市出身。騎手時代は「障害の松田」と呼ばれ、障害競走で通算150勝の中央競馬史上最多記録(当時)を樹立[注 1]。調教師転向後は、それぞれ2007年、2010年のJRA年度代表馬に選出されたアドマイヤムーンブエナビスタクラシック二冠牝馬ベガ、その産駒でGI競走7勝を挙げたアドマイヤドンなど、数々のGI優勝馬を管理している。2006年・2007年度JRA賞最多賞金獲得調教師[1]、2007年度同優秀技術調教師[1]。愛称は「マツパク」[2][3]
経歴

1946年、両親が満州国から日本へ移る途中の引揚船の中で生まれ[4]、幼少期は福岡県小倉市(現・北九州市)で過ごした。父・和要武(とよたけ)は小倉競馬場で騎手、のちに佐賀競馬場で調教師として活動し、その影響を受けて早くから騎手を志していた[5]。中学校卒業後、東京都世田谷区馬事公苑騎手養成長期課程に入所。同期生には菅原泰夫嶋田功らがいる。2年次から中山競馬場稗田敏男厩舎で研修に入ったが、稗田の妻との折り合いが悪く、研修が終わったあとに京都競馬場上田武司厩舎に移籍[6]。1964年、上田厩舎から騎手としてデビューした。
騎手時代

体重が重かったため、デビュー当初より障害競走を中心に騎乗を続け[7]、1965年5月、クロユリで阪神大障害(京都大障害)を制して重賞初勝利を挙げる。騎手時代から、ホウシュウの冠名で知られた有力馬主・上田清次郎の支援を受け[7]、1972年には上田の所有馬ムーテイイチで二つの障害重賞に勝利、翌1973年にもホウシュウリッチで神戸新聞杯を制し、平地重賞初勝利も挙げた。以後長く「障害の松田」として鳴らしていたが、1978年より清次郎の強い勧めで調教師免許試験を受験[8]。1981年に3度目の受験で合格し、免許を取得。これに伴い騎手を引退した。通算1037戦188勝、うち重賞競走8勝。
調教師時代

1983年、滋賀県栗東トレーニングセンターに自身の厩舎を開業。同年4月23日、ボールドスミスで初勝利を挙げる。初年度からブルキングで阪神障害ステークス(春)を制し、調教師として重賞を初勝利。当初は騎手時代に勝てなかった障害の最高格競走・中山大障害制覇を目標として障害競走に力を入れており、毎年のように障害の重賞を制した[9]

1988年、清次郎が創業した上田牧場出身馬・コスモドリーム優駿牝馬(オークス)を制し、GI競走初制覇を果たす。以後平地競走での成績が目立ち始め、1993年にはベガ桜花賞、オークスを制した。1999年には上田牧場の生産馬ブゼンキャンドル秋華賞を制覇し、調教師として史上4人目の牝馬三冠を達成。これは同場最後のGI競走勝利となった。上田牧場は2001年に廃業したが、松田は調教助手らが調教の際に着る調教服や、管理馬がレースで着用する頭絡の額革のデザインに、上田清次郎・上田牧場の勝負服色と同じ黄黒元禄を採用している。

2001年からはベガの第3仔であるアドマイヤドンを管理し、地方交流も含めて7つのGI競走を制覇。また同時期にはダートGI競走6勝を挙げたタイムパラドックスも管理し、両馬でJBCクラシック5連覇を達成、同一GI競走の連勝記録を作った。ベガの仔については、初仔で日本ダービーを制したアドマイヤベガ、第2仔アドマイヤボスと、馬主・近藤利一と親しい橋田満が管理していたが、近藤が「ベガを育てた松田調教師にも仔を管理して欲しい」と希望したことにより松田厩舎へ入った経緯があった[10]。これを契機に近藤からの預託が増え、2006年と2007年にはアドマイヤムーンらの活躍で年間最多賞金獲得調教師のタイトルを獲得した。

2008年からは牝馬ブエナビスタが活躍、2010年には同馬の総獲得賞金が10億円を突破し、松田の管理馬としてアドマイヤムーンに続く2頭目の10億円ホースとなった[注 2]。管理下からの複数の10億円ホース輩出は池江泰郎[注 3]に続く史上2人目の記録となった。またブエナビスタは同年に牝馬として史上4頭目の年度代表馬に選出されている。

2014年4月7日の第74回桜花賞ハープスター川田将雅騎手騎乗)が優勝した[11]。同馬は同年10月15日のフランス凱旋門賞にも挑戦したが、6着に終わった[12]。同年12月6日の第50回金鯱賞(GII)でラストインパクトが優勝し、2006年以来のJRA重賞レース年間8勝を達成した[13]。同年は年間49勝を挙げた[13]

引退の前日である2016年2月27日阪神10レース、ラブラバード(川田騎乗)で通算800勝を達成した[14]。翌2月28日をもって定年のため調教師を引退した。中央競馬の生涯成績は7001戦800勝、重賞73勝(GI19勝)[15]
騎手成績

通算成績1着2着3着4着以下騎乗回数勝率連対率
平地385146332467.081.191
障害1508576259570.263.412
計1881361225911,037.181.312

日付競走名馬名頭数人気着順
初騎乗1964年3月28日-ワリー--2着
初勝利1964年5月17日-トサクイン--1着
重賞初騎乗・初勝利1965年6月10日阪神大障害クロユリ4頭21着
GI初騎乗1966年4月10日桜花賞ホツカイフジ23頭2123着

主な騎乗馬

※括弧内は松田騎乗時の勝利重賞競走。

クロユリ(1965年阪神大障害)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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