松濤幼稚園
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東京都西多摩郡の「福正寺松濤幼稚園」とは異なります。
閉園後の松濤幼稚園
(2011年7月撮影)

松濤幼稚園(しょうとうようちえん)は、かつて日本東京都渋谷区松濤に存在した私立幼稚園[注釈 1]2010年平成22年)3月をもって閉園した。開園当時の表札には「松濤幼児研究所」、閉園当時には「松涛幼稚園」とも表記されていた。
概要

開園は1947年昭和22年)で、開設者は後の学習院大学名誉教授伯爵の林友春[1]の妻、林貞子(はやし ていこ)[注釈 2]であった[注釈 3][2]

東京でも屈指の高級住宅街である松濤に所在するとともに、慶應義塾幼稚舎学習院初等科をはじめとする有名小学校への進学実績、高額な学費、皇族旧宮家旧華族政官財界・著名人など名家の子弟が多く通うことで知られ、東京のいわゆる「お受験」界において、当園を筆頭に若葉会幼稚園港区西麻布)、枝光会附属幼稚園(港区三田)が『御三家幼稚園』と呼ばれていた。

教諭陣が旧皇族華族出身者や財界人の子女で構成される等の特殊性から、入園には実技試験や両親面接以外に家柄出自の詳細・学歴の提出(いわゆる身上書)や、本園と何らかの知己のある人物の紹介(紹介者の氏名捺印など)を必要とされていた。そのため、基本的に縁故入園の傾向が強く、一般の入園が困難だった点で教育関係者の一部では紹介制の「会員制倶楽部」と称される事もあった。

従来、日本で最も学費が高額だった幼稚園としても知られていたが、閉園前の2008年度(平成20年度)における初年度納付金額だけをみても135.0万円で、東京都内の幼稚園としては青山学院幼稚園(144.5万円[3])に次いで2番目に高額であった[3][4]。毎日送迎時間には、運転手付きの高級車がずらりと園の前に並び、ドアマンが開け挨拶していたことから「花より男子」の学園のモデルになったと言われる[要出典]。

また、皇室関係者が在籍する学年があるときは、複数の皇宮護衛官が配置されていた。

皇族華族関係者や在園家庭の一部で、3年保育のみを募集する本園から、2年保育のみを募集する学習院幼稚園に移動する事例が見られた。

創立50周年には、三笠宮崇仁親王三笠宮妃百合子夫妻、三笠宮ェ仁親王妃信子ら皇族が招かれた。
麻生家との関係

元総理大臣・麻生太郎の母であり麻生太賀吉の妻であった麻生和子は松濤幼稚園創設者で園長の林貞子にとって従妹にあたり(林の父・牧野伸通の妹が吉田茂に嫁いだ吉田雪子)、近い親戚であることから麻生家との関わりが深かった。

卒園生でもある麻生信子三笠宮家ェ仁親王と結婚する以前、母・麻生和子同様、姉の荒船旦子[注釈 4]らと共に英語教師として勤務していたことでも知られた[注釈 5]

麻生太郎元首相(現・自由民主党副総裁)本人とも所縁が深く、一時期運動会のために麻生邸の庭を貸していた。実際に、2008年9月23日のニュース記事では三宅久之第5次吉田内閣の首相番記者政治評論家)が「40年ぐらい前までは(麻生邸の)近くにある松濤幼稚園に運動会をやるスペースがないということで麻生邸の庭を借りてました」と発言している[6]
三木谷浩史との関係

2008年度より新入園の募集を中止、その2年後に閉園となった。その後、敷地は売却され、建物は取り壊され現存していない。現在、跡地には楽天グループ創業者三木谷浩史の邸宅がある[7]
著名な出身者

松濤幼稚園の主な卒園生や出身者には、名誉会員として、ェ仁親王妃信子高円宮憲仁親王と3人の子(承子女王千家典子守谷絢子)、千容子などの皇族から旧華族関係者までがいる。寛仁親王と寛仁親王妃の2人の子(彬子女王瑶子女王)も一時通った。

そのほか、政官財界では麻生泰慶應義塾三田會会長、麻生会長)と長男麻生巌岸信夫[注釈 6]と長男岸信千世武見敬三厚生労働大臣)、新進では中曽根康弘の孫にあたる中曽根康隆・中曽根文子(日本交通創業家社長の川鍋一朗の妻)らの他、旧中島飛行機が前身になる富士重工(現SUBARU)創業者の孫中島洋次郎ソニー創業家の盛田英夫盛田昌夫、戦後岸信介と関わりがあったロッテ創業家の重光宏之重光昭夫日興証券(現SMBC日興証券)創業者の孫遠山正道[8]山本貴大山本海苔店7代社長)、竹中工務店社長を務めた竹中宏平の孫にあたる竹中祥悟竹中土木社長)[注釈 7]堀新太郎ベインキャピタルジャパン会長)、正力源一郎CS日本社長)、新倉能文(大和自動車交通創業家社長)、旧豊年製油中興家の杉山顕太郎(旧ナレッジパーク創業者)、古屋毅彦松屋(百貨店)創業家社長、一時在籍)、細田将己(榮太樓總本鋪副社長)、石井菜穂子財務官僚地球環境ファシリティCEO)、阿部知之(元外務省大臣官房長)、松倉浩司(元交流協会専務理事、元東北通産局長)などがいる。


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