日本の政治家松浪 健太まつなみ けんた
生年月日 (1971-08-17) 1971年8月17日(52歳)
出生地 日本 大阪府泉佐野市
出身校早稲田大学商学部
前職産経新聞社記者
所属政党(自由民主党→)
(旧日本維新の会[注 1]→)
(維新の党[注 1]→)
(おおさか維新の会[注 1]→)
日本維新の会/大阪維新の会
称号商学士
親族伯父・松浪啓一(元大阪府議会議員)
叔父・松浪健四郎(元衆議院議員)
従兄・松浪武久(大阪府議会議員)
公式サイト松浪ケンタ公式サイト
松浪 健太(まつなみ けんた、1971年8月17日 - )は、日本の政治家。大阪維新の会所属。
大阪府議会議員(1期)、衆議院議員(5期)、厚生労働大臣政務官(第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣)、内閣府大臣政務官(福田康夫改造内閣・麻生内閣)、(旧)日本維新の会国会議員団幹事長、同国会議員団総務会長兼選挙対策委員長、維新の党国会対策委員長、同幹事長代行、同選挙対策委員長、日本維新の会国会議員団代議士会長などを歴任。
元大阪府議会議員の松浪啓一は伯父。元衆議院議員の松浪健四郎は叔父。啓一の長男で、従兄にあたる松浪武久は大阪府議会議員、元泉佐野市議会議長。 1990年3月、清風高等学校を卒業[2]。1991年4月、早稲田大学商学部へ進学[2]。在学中に1年間休学し、オーストラリアのタスマニア州に赴き、小・中学校で日本文化を教えるインターンを経験した[2]。 1997年4月、産経新聞社に入社[2]。横浜総局、青森支局、整理部、社会部にて勤務した[2]。 2002年10月に退社し、辻元清美衆議院議員(社会民主党)の辞職(辻元清美秘書給与流用事件)に伴う大阪10区補欠選挙に自由民主党公認(公明党・保守党推薦)で出馬[2]。松浪を含め8人が立候補した混戦を制し、初当選[3]。党内派閥では、江藤・亀井派に所属[2]。当時の自民党では2番目に若い31歳だった[4]。 2003年の第43回衆議院議員総選挙では、大阪10区で民主党前職の肥田美代子に敗れ、比例復活もならず落選[2]。 2005年、第44回衆議院議員総選挙に大阪10区から自民党公認で出馬。社民党公認の辻元、民主党公認の肥田を破り、国政に復帰した(辻元は比例復活)[2]。 2007年8月、第1次安倍改造内閣で厚生労働大臣政務官に任命され、福田康夫内閣まで務める[2]。福田康夫改造内閣では内閣府大臣政務官に任命された[5]。麻生内閣でも再任されるが、2009年1月、衆議院本会議における第2次補正予算案の採決で、定額給付金への反対を理由に投票を棄権したため、内閣府大臣政務官を罷免された。 同年8月の第45回衆議院議員総選挙では、大阪10区で辻元に敗れたが、重複立候補していた比例近畿ブロックで復活し、3選。 2010年4月、自由民主党中央政治大学院副学院長に就任[2]。5月、所属していた伊吹派を退会[要出典]。 2012年9月、日本維新の会の結党に参加するため、自民党に離党届を提出。これに対し、党大阪府連は10月27日の府連大会で「自民党に投票した有権者の思いを踏みにじる行為」だとして、松浪の議員辞職を求める宣言を採択した[6]。その後、維新に合流した松浪と谷畑孝衆議院議員に対し、除名処分が下った。 日本維新の会結党に伴い、国会議員団幹事長に就任(太陽の党の合流に伴い退任、後任は松野頼久)[2]。以降、一貫して橋下徹と行動を共にする。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、日本維新の会公認、みんなの党推薦で大阪10区から出馬。民主党前職の辻元を約6,000票差で破り、4選。 2013年10月15日、衆議院決算行政監視委員長に就任[2]。 2014年6月の日本維新の会分裂時、次世代の党に参加した藤井孝男に代わり、党国会議員団総務会長兼選挙対策委員長に就任。
来歴