松浦勝人
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政治家の「松浦正人」とは別人です。

松浦 勝人
別名masato "max" matsuura
Max Matsuura (MAX MATSUURA)
生誕 (1964-10-01) 1964年10月1日(59歳)
出身地 日本神奈川県横浜市西区
学歴日本大学経済学部卒業
ジャンルJ-POPユーロビートダンス・ミュージック
職業音楽プロデューサー
実業家
活動期間1988年 - 現在
公式サイトavex.com

松浦 勝人(まつうら まさと、1964年昭和39年)10月1日 - )は、日本音楽プロデューサー実業家エイベックス会長。通称名はMax Matsuura(マックス・マツウラ)。

神奈川県横浜市西区出身。日本大学経済学部卒業。
経歴

神奈川県横浜市西区御所山町生まれ。保土ケ谷区で中古車販売業を営む松浦治とひろ子の長男として生まれる。また妹に由貴がいる。生後四か月で鎌倉市、横浜市神奈川区三ツ沢、小学六年時に横浜市港南区野庭団地[1]、横浜市戸塚区柏尾町へ移り住む[2]横浜市立三ツ沢小学校横浜市立野庭中学校横浜市立金沢高等学校を経て、日本大学経済学部産業経営学科を卒業。

高校生の頃にアマチュアバンドのドラマーとして活動しており、大学在学時からはユーロビート、ダンスミュージックに目覚め、都内の貸レコード店やディスコに出入りして知識を深めていった。1985年4月に貸レコード店友&愛港南台店でアルバイトを始めた[3]。この時、一緒にアルバイトをしていたのが、現・エイベックス株式会社取締役COOの林真司、元・取締役の小林敏雄であった。林、小林は共に松浦と同じ横浜市立金沢高等学校の同級生である。12月には正式に店長となり、その年末に「友&愛」港南台店の来店客として当時高校生だった後のEXILEHIROと出会っている[4]。奇遇にも彼も高校の後輩であり、以後、高校の学園祭にDJ役で顔を出したりして、親交を続けた。

1986年、アルバイト先の「友&愛」港南台店のオーナー重野正昭(後のエイベックス監査役)に商才を認められ、重野と松浦の父である松浦治の共同出資により、株式会社ミニマックスを設立。代表取締役に就任。6月6日、横浜市港南区上大岡駅前にフランチャイズの貸レコード店「友&愛」上大岡店を開業させる[5]。後にEvery Little Thingでデビューする五十嵐充もアルバイトとして勤務しており、後に店長となる。

1988年4月11日エイベックス・ディーディー(現在のエイベックス)を設立。同社の取締役に就任した。またレコードCDの輸入卸売業を始めた。1990年エイベックスのメインレーベル・avex traxを設立。1991年専務取締役に就任。1992年5月に、MaharajaやKing&Queenなどのディスコを全国展開したNOVA21グループに出入りしていた千葉龍平(後のエイベックス・グループ・ホールディングス副社長)を介して、キャピトル東急ホテルにて初めて小室哲哉と会い、リミックスアルバム(TMN SONG MEETS DISCO STYLE)制作の話を持ち掛けている[6]

1995年、後に歌手としてデビューをする浜崎あゆみとクラブで出会い、ともにニューヨークへ飛び、2年間にも及ぶレッスンやトレーニングを経て、1998年のデビューまでの準備に入る。1998年4月3日からオールナイトニッポンRプロデューサーズナイトで、3年半の間、月1回パーソナリティを務めた。1998年12月、エイベックスのアーティストオーディションを行う為、テレビ東京のオーディション番組「ASAYAN」に出演した。

2001年2月、元会長の依田巽の助言により、松浦真在人に改名。後に2002年10月4日より、再び本名に戻した。2001年9月、アメリカのニューヨークで起きた同時多発テロ事件をきっかけに小室哲哉と共に特別ユニットを作る。2004年9月28日エイベックス持株会社でるエイベックス・グループ・ホールディングスの代表取締役社長に就任。2009年、第4回渡辺晋賞を受賞[7]

2019年、浜崎あゆみの自伝「M 愛すべき人がいて」で、浜崎と1996年から1999年まで恋仲だった事が公表され、翌年の2020年4月より同作がテレビドラマ化された。2023年7月2日、父の治が死去[8]
小室哲哉との関係

小室哲哉とは、1991年にエイベックスが本格的に音楽制作に参画した当初から、タイアップ交渉・所属会社の壁を越えた撮影チーム結成に対するための融通、カラオケ画面でのアーティスト本人のPV映像の上映を実現するためのコーディネートに奔走する等[9]公私に渡るパートナーであったものの、制作・セールス方針、印税の分配等[注釈 1]で松浦・千葉と小室側の側近と意見が決裂、1990年代半ば頃から険悪化し、1997年から長期間絶縁状態にあった。その後はエグゼクティブ・プロデューサーとして企画のチェックに関わる事はあっても、マネジメント等の協力・プライベートの交流は皆無に等しかった。

しかし、2008年に小室が逮捕された際、被害弁済から約6億5000万円を個人的に融資した。「何も分からない音楽業界のことを教えてくれたことや、今のエイベックスがあるのも小室さんのおかげだと思いだした。」と、TRF安室奈美恵globe等、エイベックスの礎は小室哲哉によって生み出されたものであり、小室哲哉無くしてEvery Little Thing浜崎あゆみ倖田來未等は誕生しえなかったと述べており、恩師としての小室を思い出し、今後の音楽活動に賭けてみようと決心したという。また、弁済融資の他、社内に小室専用の部屋・制作スタジオも用意した[11][12]

小室は「レコード会社から驚異的な資産を生み出したリチャード・ブランソンデヴィッド・ゲフィンの2人に似ている」と称している[13]
役職歴

1988年昭和63年)04月 - エイベックス・ディー・ディー株式会社 (現:エイベックス株式会社) 設立、取締役に就任。

1991年平成03年)03月 - 専務取締役に就任。

2004年(平成16年)08月 - 専務取締役および取締役を辞任。


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