この項目では、出雲国の城について説明しています。肥後国にあった松江城については「八代城」をご覧ください。
logo松江城
(島根県)
天守(国宝)
別名千鳥城
城郭構造輪郭連郭複合式平山城
天守構造複合式望楼型 4重5階地下1階(木造 1607年築 現存)
築城主堀尾忠氏
築城年1611年(慶長16年)
主な改修者京極忠高
主な城主堀尾氏、京極氏、雲州松平家
廃城年1871年(明治4年)
遺構現存天守、石垣、堀
指定文化財国宝(天守)
国の史跡
再建造物櫓、門、橋
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度28分30.5秒 東経133度3分2.5秒 / 北緯35.475139度 東経133.050694度 / 35.475139; 133.050694
松江城(まつえじょう)は、島根県松江市殿町にあった江戸時代の日本の城。別名千鳥城。現存天守は国宝、城跡は国の史跡に指定されている。 小瀬甫庵の縄張りによる平山城。江戸時代には松江藩の政庁として、出雲地方の政治経済の中心であった。山陰地方で唯一の現存天守であり、国宝指定された5城のうちの一つである(他は犬山城、松本城、彦根城、姫路城)。標高29メートルの亀田山に建つ天守からは宍道湖を眺望することができる。 明治時代初頭に廃城令によって松江城は陸軍省所管となり城内の建物は全て解体され売却される予定だったが、地元の有志によって天守閣だけは買い戻されて解体を免れた。近年、二の丸の櫓が復元されるなど往年の姿を取り戻しつつある。 昭和初期に城山部分は公園として開放され、現在は指定管理者制度に則り、特定非営利活動法人松江ツーリズム研究会が運営をしている。日本さくら名所100選や都市景観100選に選ばれるなど島根県の主要な観光名所となっている。
概要
歴史・沿革
前史
鎌倉時代から戦国時代にかけて、この地に末次城(末次の土居)が置かれた。
築城
1600年(慶長5年) 関ヶ原の戦いで戦功のあった堀尾忠氏(堀尾吉晴の子)が、隠岐・出雲24万石を得て月山富田城に入城し、松江藩が成立。月山富田城は中世山城であり近世城下町形成には不利であったので、運送などに有利な宍道湖と中海を結ぶ太田川の近く、末次城跡を城地の候補とした。
1607年(慶長12年) 末次城のあった亀田山に築城を開始。
1611年(慶長16年) 正月には松江城は落成していた(堀尾吉晴は完成目前で急死しているというのが通説だったが、この年の6月に亡くなっているため、通説は誤り)。
1633年(寛永10年) 堀尾忠晴没、嗣子なく堀尾氏は3代で改易となった。
1634年(寛永11年) 京極忠高が若狭国小浜藩(若狭・越前国敦賀郡)より出雲・隠岐両国26万石で入封。三の丸を造営し、ここに松江城の全容が完成した。
1637年(寛永14年) 忠高が嗣子なく没し、京極家宗家は一時廃絶(後に他国で再興される)。