この記事には複数の問題があります。改善
やノートページでの議論にご協力ください。松永 邦久(まつなが くにひさ、1944年9月25日 - )は、日本のフリーアナウンサー。埼玉県大宮市[1](現在のさいたま市大宮区)出身。キャスト・プラス所属。血液型AB型。実弟は元HBCアナウンサーで株式会社マツプロ松永 代表取締役の松永俊之。
にこやかな笑顔と堅実な態度で「報道のTBS」といわれる一時代を築いた人物の一人でもある。 TBSに入社、アナウンサー13期生[注 1][2]として放送界にデビュー、アナウンサーとしては主にニュース、報道番組を担当[6][7]、番組キャスターやあさま山荘事件(1972年)、フィリピン・ルバング島の小野田寛郎元少尉捜索(1973年)、成田空港開港(1978年)、昭和天皇崩御(1989年)と、現場中継取材を多数担当し、この間、報道局政治部記者も経験、野党クラブ・キャップ、選挙報道番組ディレクター、総理・各党党首外遊の同行取材も担当した。1996年6月19日、総務局審査部専任部長となりアナウンス職を離れてからは[8]、人事労政局診療所事務長(1999年2月1日)[9]などを歴任。2002年2月1日、クリエイティブ・メディア・エージェンシーに出向[4]。2004年TBSを定年退職後は、クリエイティブ・メディア・エージェンシー(現・キャスト・プラス)常務取締役(2008年まで)の他にTBSアナウンススクール事務局長(2009年まで)、跡見学園女子大学短期大学部講師も務めていた[5]。
略歴
開成高等学校を経て、早稲田大学法学部卒業。
1968年4月 - TBSに入社[2][3]。
2002年2月1日 - クリエイティブ・メディア・エージェンシーに出向[4]。
2004年9月 - TBSを定年退職[5]。
2008年 - クリエイティブ・メディア・エージェンシー常務取締役を退任。
2009年 - TBSアナウンススクール事務局長を退任。
人物
出演番組
パックインミュージック 第2部(1970年4月 - 9月、TBSラジオ)土曜(金曜深夜)[6][7]
テイチクアワー
週間ニュース特集(1978年、TBSテレビ)[7]
JNNニュース(TBSテレビ)
日曜ニュースクラブ(1988年、TBSラジオ)→ サンデー・ニュース&スポーツ[7]
JNNおはようニュース&スポーツ(1989年、TBSテレビ)[6][7]