松林 茂基本情報
国籍 日本
出身地山口県玖珂郡和木町
生年月日 (1947-08-23) 1947年8月23日(76歳)
身長
体重176 cm
66 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り1972年 ドラフト2位
初出場1973年4月19日
最終出場1977年6月21日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
山口県立岩国工業高等学校
大昭和製紙
大昭和製紙北海道
広島東洋カープ (1973 - 1974)
太平洋クラブライオンズ (1975 - 1976)
中日ドラゴンズ (1977 - 1978)
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松林 茂(まつばやし しげる、1947年8月23日[1] - )は、山口県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。投法はアンダースロー。 岩国工業高校では、1965年夏の甲子園県予選準々決勝で下関中央工に延長17回敗退。卒業後は大昭和製紙[2]に入社。その後は大昭和製紙北海道に転籍する。大昭和製紙では野村稔、北海道では同じチームから転籍組の三田晃、成重春生など投手陣の層が厚く、都市対抗などの大舞台ではあまり活躍できなかった。しかし1972年の産業対抗では先発として起用され、準決勝に進む。日本石油の五月女豊と投手戦を展開するが、延長14回、町田公雄に決勝2点本塁打を喫し0-2で惜敗[3]。この大会では優秀選手に選出された。 即戦力として評価され、ドラフト2位指名で1973年に広島東洋カープへ入団。アンダースローから、カーブやシュートを投げ、シンカーを決め球とした。カープでは主に中継ぎとして活躍し、2年目には30試合に登板した。1974年オフに三輪悟、米山哲夫との交換トレードで西沢正次と共に太平洋クラブライオンズへ移籍、ここでも主に中継ぎとして起用される。1976年9月19日には日本ハムを相手に先発、1回に富田勝に先頭打者本塁打を浴びるがその後は好投、6回終了降雨コールドながら初完投勝利を飾る。同年暮れには竹田和史との交換トレードで中日ドラゴンズへ移籍し、1978年オフに引退した。 年
来歴・人物
詳細情報
年度別投手成績
度球
団登
板先
発完
投完
封無
四
球勝
利敗
戦セ
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ブホ
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ル
ド勝
率打
者投
球
回被
安
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本
塁
打与
四
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三
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1973広島13200001----.00010222.02621221190215145.731.73
1974304000120--.33323057.04772245320021182.841.21