松村雄基
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出典検索?: "松村雄基" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2013年3月)

まつむら ゆうき
松村 雄基
本名松村 憲幸(まつむら のりゆき)
生年月日 (1963-11-07) 1963年11月7日(60歳)
出生地 日本東京都文京区
身長178cm
血液型B型
職業俳優歌手書家
ジャンルテレビドラマ映画オリジナルビデオ
活動期間1980年 -
事務所オールスターズ・カンパニー
公式サイト松村雄基オフィシャルサイト
主な作品
テレビドラマ
不良少女とよばれて
スクール☆ウォーズ
乳姉妹
ポニーテールはふり向かない
信濃のコロンボ事件ファイル』(中村梅雀版)
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松村 雄基(まつむら ゆうき、1963年11月7日 - )は、日本俳優。身長178cm、体重63kg。オールスターズ・カンパニー代表取締役。本名は松村 憲幸(まつむら のりゆき)。独身。
来歴

東京都文京区出身。元々、役者という仕事については「どこか遠くの世界のようだった」と思っていたことからあまり興味はなかったが[1]、中学生時代、同級生の母親から旧知の芸能事務所社長を紹介されたことが縁で芸能界入りした[1]。中学3年から高校1年の2年間「劇団俳小」のタレント育成コースで演技の基礎を学んだ後[1]東京都立板橋高校在学中に、テレビドラマ『生徒諸君!』の沖田成利役でデビュー。

1984年放送の『少女が大人になる時 その細き道』で大映テレビドラマの初レギュラー[2]。以後『不良少女とよばれて』『スクール☆ウォーズ』とレギュラー出演が続き、1980年代には大映ドラマの常連男優として活躍した。松村を自分のドラマに起用した大映テレビプロデューサーの春日千春はその起用理由について「目が気に入ったとしか言いようがない」と話している[2]TBS土曜9時枠の連続ドラマでは『スクール☆ウォーズ』の他、『ポニーテールはふり向かない』、TBS火曜20時台の『不良少女とよばれて』『乳姉妹』、フジテレビ水曜20時台の『花嫁衣裳は誰が着る』が代表作で、大映ドラマの三つ全ての枠に出演していた。

1993年ごろ(当時30歳)から舞台出演のオファーが来るようになり、その後、毎年平均4本のペースで出演するようになる[3]

1981年CBS・ソニーからレコードデビュー。しばらく歌手活動を休止していたが、2006年に歌手(ライブ)活動を再開。2013年に26年ぶりのオリジナルアルバムをリリース。2014年、東京と大阪を中心に精力的なライブ活動を続けた。

剣舞家であり、書家でもある。30歳のころ書店でたまたま書家・大溪洗耳の著書を手にしたことがきっかけで書道に興味を持ち、五月女玉環に弟子入りし、書を始めた[4]。第17回東京書作展(東京新聞社主催)にて内閣総理大臣賞受賞。

2015年にデビュー35周年を迎えた。

2019年、日本でラグビーワールドカップが開催され、過去に高校ラグビー部を舞台にしたドラマ『スクール☆ウォーズ』で人気を博した松村はこの年単独の仕事の他、同作品でラグビー部顧問を演じた山下真司との共演[5]が一時的に増え「W杯特需でした」と喜んだ[3]

2022年、自身が所属する事務所オールスターズ・カンパニーの社長に就任した。[6]
人物
デビューまで

家庭の事情で子供の頃から祖母と2人暮らしだった[4](後述)。

小学生の頃まではスポーツは苦手だった[3]

芸能界に入る前の中学生の頃の将来の夢は、「中国語の通訳や外交官になること」だった。中学2年から3年生まで生徒会長を務めていたが、当時の性格は大人しくて人見知りだった[3]

芸能入りのきっかけをくれた同級生に事務所を紹介してくれた理由を尋ねると、「(生徒会長として喋る松村の姿を見て)あんたは芸能界で生きていけそうな気がした」と言われたとのこと[4]
祖母との生活について

松村は母親代わりの祖母に育てられ、彼の学生時代まで祖母は詩吟の先生をしており、自宅に生徒を集めて教えていた[3]

松村によると祖母は士族の生まれで「一度決めたらトコトンやる」という人で[3]、礼儀や敬語に関しては厳しく育てられた[4]

中学生の時に芸能界入りを決めたのは、社長と直々に会って話した祖母の「社長さんが良さそうな人だし、嫌になったら辞めればいい」との助言を受けたことから[3][4]

しかし松村が俳優デビューした翌年18才の時に祖母が脳梗塞で倒れ、会話は出来るが、後遺症で体の自由が利かない状態となる[4]。それ以来、松村は仕事と並行して叔母・叔父の手も借りながら自宅で介護し、さらに祖母に認知症の症状が現れるも、倒れてから10年間、介護生活を続ける[7]。その後、認知症が進行し家族だけの介護に限界を感じ、特別養護老人ホームに入ることになった祖母は10年間そこで暮らした後、87歳で亡くなっている(享年88歳)[4]
その他エピソード

印象に残っている作品として、18才の時に出演したドラマ『ぼくらの時代』を挙げている。


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