松村文雄
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本名が「松村文雄」の詩人の「北村太郎」あるいは細胞生物学者の「松村文夫」とは別人です。

松村 文雄(まつむら ふみお、1948年1月18日[1] - )は、特撮テレビドラマ作品の撮影技師東京都出身[1]
経歴

東京都立羽田工業高等学校在学中から映画界入りを志し、クロード・ルルーシュ監督のフランス映画『男と女』をきっかけに映画カメラマンの仕事に興味を持つ[2]

卒業後、当初はPR映画会社が出した新聞の三行広告を読んだことがきっかけで業界入りした[1]。ニッサンプロが制作していた『プロフェッショナル (テレビドラマ)』で初のテレビドラマの撮影助手を務める。その後も『宇宙鉄人キョーダイン』『透明ドリちゃん』『Gメン'75』などで撮影助手を務める[3]。『仮面ライダー (スカイライダー) 』で撮影監督としてデビューした[1][3]。32歳での昇格はフィルム主流の当時では早いものであった[1]

その後は宇宙刑事シリーズなどを経て、『星雲仮面マシンマン』で初のメインカメラマンに就任。特撮作品を仕事の中心としながらも、『あぶない刑事』『ホテル』シリーズ、2時間ドラマやVシネマ作品など一般作品も多く手がける。制作会社では東映近藤照男プロダクションとの繋がりが深い。

機界戦隊ゼンカイジャー』、ネット配信『仮面ライダーアウトサイダーズ』などを最後に現在は一線を退いている。
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出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2016年2月)


雑多な内容が羅列されています。(2016年2月)



助手だった時期には『シルバー仮面』や『ウルトラマンレオ』で特撮班の撮影にも携わったが、「ミニチュアセットでずっと同じことをやってるのが性に合わない」ので、特撮の現場には全く興味がなかったという[4]

仮面ライダー (スカイライダー) 』で本格的に撮影監督を任されるようになり、次回作の『仮面ライダースーパー1』にも引き続き参加するが、同時期に東映東京撮影所で制作していたドラマが打ち切りになってそのスタッフが大挙してやってきたため、フリーの契約カメラマンであった松村は外されることになった。その後、吉川進プロデューサーから、『宇宙刑事ギャバン』の撮影チーフ助手の誘いを受けるが、「一度キャメラマンをやっているから」また助手に戻る気が湧かず当初は依頼を固辞したという。後半に撮影監督をやらせてくれるならとの条件を出して、番組に参加した[5]。実際に、後半には撮影監督として番組を支えている。

『宇宙刑事ギャバン』で初めて出会った監督の小林義明には、よく可愛がってもらったという。もともとは監督の佐伯孚治が小林に、「よくやってくれるキャメラマンがいる」と言ったのがきっかけであったといい、「人のつながり」に感謝したとのこと[5]

あぶない刑事』では番組開始当初からメインの撮影監督として、タイトルバックも撮っている。同番組への参加は『ワイルド7』の頃からの付き合いの長谷部安春からの誘いがあったからだった。同番組へ参加中、プロデューサーの吉川進から『仮面ライダーBLACK』の担当依頼があったが、『あぶ刑事』の現場が思いの外楽しかったため辞退した。が、「じゃあいったい、こっちは誰が撮るんだ」と吉川に怒られたという。結果的に、ライダーシリーズ初参加の小林義明が監督すると聞かされて新しいものが作れると予感したこともあり、『あぶ刑事』シリーズを途中降板して『BLACK』の撮影監督に就任している[6]

『BATTLE & BATTLE クローンカプセル -CLONE CAPSULE-』(1992年、まじかるふぇいす)の監督は國米修市だが、旧知の仕事仲間からの依頼に、松村はノーギャラでカメラを回したという。

アクション演出では第一人者だった金田治が『特捜ロボ ジャンパーソン』で本編演出デビューを果たしたとき、金田より直々に撮影監督として指名を受けている。金田とは、宇宙刑事シリーズなどで親交が深かった。『ジャンパーソン』以後は監督とカメラマンで組む機会はなかったが、『劇場版 さらば仮面ライダー電王 ファイナル・カウントダウン』で、およそ15年ぶりにコンビを組んだ[6]。松村は金田がアクション監督を務めていた際は望遠レンズで撮れるような場面でも迫力を出すため爆発に近づいての撮影を要求された[1]。『仮面ライダーBLACK』や『仮面ライダーZO』ではセメント爆破やナパーム爆発の中をオートバイに乗って撮影し、松村は怖さと同時に気持ちよさも感じていたという[1]。金田は、松村について「特撮が本当に好きでキャメラワークも大胆であり、監督の意図を汲んだうえで構図を計算してくれる」として、金田が撮りたい映像に色々と挑戦してくれる人物と評している[7]

スーパー戦隊シリーズに本格参加した『救急戦隊ゴーゴーファイブ』は、『マシンマン』からの付き合いであった日笠淳が初めてシリーズのチーフプロデューサーを務めることから参加した[3]

アクション撮影の迫力は松村独特の味があり、多くのファンを獲得している。現東映取締役・白倉伸一郎は、東映入社以前より松村の個人的なファンであったという。白倉は『超光戦士シャンゼリオン』の撮影監督を松村に依頼し、松村も了承したが同時期に2時間ドラマの仕事が重なり、ドラマ制作会社の近藤照男プロダクションも許可しなかったため、松村の参加は第5話からになった。これについて白倉を裏切ってしまったと松村は長年悔いることになったため、後年白倉から『仮面ライダーアギト』の依頼があったとき「戦隊を捨ててまでも、『アギト』に行く」と決意したという[2]。当時松村は戦隊シリーズに参加していたが、そちらを途中降板してまで『アギト』に関わった。結果的には2年間近く仕事が暇になり生活が苦しくなったそうだが「やっと(白倉に対する)義理を果たした」とその結果には納得したという。

同じく白倉がプロデューサーを務めた『美少女戦士セーラームーン』にも参加したが、『特捜戦隊デカレンジャー』で初めてスーパー戦隊シリーズのチーフプロデューサーを務める塚田英明から同作品への参加を要望され、白倉からパイロットだけとの許可を得て参加した[3]。その後、『セーラームーン』の終了にあわせ『デカレンジャー』に参加し、以後同シリーズを再び担当した[3]


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